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銀河鉄道旅行センター
大洲市新谷公民館 紹介
全国には松本先生に関する施設や名所が点在しています。一度は訪れてみてはいかがでしょうか?



愛媛県 大洲市新谷公民館・連絡所
 
新谷一万石の町へようこそ 「銀河鉄道999始発駅の町 新谷」
 この地は、江戸期に大洲藩六万石のうち、一万石の内分を受け、大洲藩初代藩主加藤貞泰次男、加藤直泰が初代藩主として成立した新谷藩一万石の陣屋町です。
 藩政時代の陣屋は、現在大洲市立新谷小学校となっています。
 愛媛県でも唯一残っている、慶応4年(1868)建築の陣屋の一部が麟鳳閣として新谷小学校内に有り、愛媛県指定の有形文化財に指定されています。
 新谷小学校の玄関ホールには、松本零士氏による直筆サイン入りの壁画「ふるさとからの旅立ち」(縦2.3m、横5.8m)(写真)が描かれ子どもたちに夢と希望を与えるものになっています。この絵は松本氏が太平洋戦争末期に母親の実家のあるこの新谷に疎開し、仲間たちと遊んだ母親の実家近くの田畑や列車が走る風景が描かれ、多感な少年時代の記憶が、後の「銀河鉄道999」など多数の作品に影響を与えたという。
 この壁画を新谷の新たなシンボルとして「銀河鉄道999始発駅新谷」として発信しようとしています。ぜひ皆さんに、日本全国に発信していただければ幸いであります。
 秋には町の南側にそびえる神南山の裾野に紅葉のすばらしさを見せてくれる公園が有り、多くの観光客が訪れています。そこは、藩主が京都の高雄から苗木を持ち帰ったと伝えられる樹齢200年以上という、有数のいろはかえでの群生地となっています。
 町を流れる川は、矢落川といい、その名前は戦国期に川を挟んで戦った両陣営の矢が届かず、川に落ちたことに由来すると伝えられています。
 6月にはこの河川の遊水地に藩政時代から残っていた菖蒲を大切に育てた菖蒲園gあり、色とりどりの菖蒲の花が楽しめます。
 小さな街ですがゆっくり歩かれて楽しんで、旅の安全とまたのお越しをお待ちしております。
 
新谷一万石まちおこしの会
 
松本零士と新谷 〜銀河鉄道999誕生の秘密〜
 漫画家松本零士氏の両親は、大洲市出身(父方 戒川地区 母方 新谷地区)であり、零士氏は戦時中に新谷地区で、昭和19年から3年間の幼少期を過ごした。
 疎開当時、アメリカ軍のB29戦闘機が上空を飛び交う中、零士少年は近所の子供たちを鰻取り(鰻と見間違えて蛇を取ることも・・・)や柿取り・昆虫採集などをして過ごし、自宅から見える神南山の裾野を走る蒸気機関車など、戦時中の新谷の原風景から、銀河鉄道999を含め、多くの作品が生まれたと言われている。
 零士氏にとって思い出深い大洲市新谷は、自分の心はいつでも新谷にあるとの意味から「こころの古里 新谷」だと明言している。



 
新谷から世界 そして銀河へ
 銀河鉄道999の作品中での鉄郎は、終着駅であるアンドロメダへ行くことにより自分の夢がかなうと信じ、「選んで出た自分の旅がいつかきっと、すばらしい終着駅につく」と想い語っている。
 作者の松本零士氏は、「個々の目的や目標など違いはあるけれど、自分を信じ自信を持って行動すれば夢はいつか必ずかなう」と言われており、銀河鉄道999作品の起源となった始発駅新谷から夢の終着駅へ到達した松本零士氏の経験が、これから夢を追い旅立つ人々へのメッセージとなるよう、新谷から世界へ、そして銀河へと広がるイメージを具現化したモニュメントである。
 
新谷公民館玄関ロビー
ふるさとの城(複製) 原画 松本零士氏 2016年

この水彩画は、平成28年(2016年)「零士ワールドin大洲」開催に当たり、大洲市きらめき大使の松本零士氏に依頼して制作していただいた作品です。
松本零士氏が幼少期を過ごされた大洲市のシンボル「大洲城」をふるさとの城として描かれ「銀河鉄道999」の「メーテル」と「星野鉄郎」が眺めています。

ふるさとからの旅立ち  原画 松本零士先生
「ふるさとからの旅立ち」に込められた、子どもたちへメッセージ

人は誰でも人生に一度だけ、決心しなければならない時が来る。例えば、汽車に乗るか乗らないかで、人生が変わる。来るべき「時」を裏切ってはならない。
無限大の夢と可能性の中で、夢を持ち、志を抱いて、来るべき「時」に旅だってほしい。

 公民館の玄関ロビーには、松本先生のサイン色紙(2012年7月6日)も掲示されています。
大洲市新谷公民館・連絡所  大洲市新谷乙1507番地第3


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