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車掌の乗務日誌
2023年02月13日に急性心不全で逝去した松本零士先生のお別れ会が、2023年6月3日(土)、東京国際フォーラムにて「松本零士先生お別れの会」が開催されましたので献花に行ってきました。
 

銀河鉄道株式会社 車掌区 No.000
乗 務 日 誌
2023年06月03日(土) 〜04日(日)  天候:曇のち晴 区長 主任
 2023年02月13日に急性心不全で逝去した松本零士先生のお別れ会が、2023年6月3日(土)、東京国際フォーラムにて「松本零士先生お別れの会」が開催されましたので献花に行ってきました。「行ってきました」というより無事に時間内にたどり着けて行けてよかった」です。

 私なりの松本先生の追悼としては、車で新東名高速走って約5時間弱の予定で東京へ向かい、お別れ会献花・松本先生への手紙を渡して、大泉学園駅へ移動、名誉駅長の車掌さんと大泉アニメゲートにいる鉄郎さんとメーテルさんに挨拶に行って、丸の内ピカデリーで追悼上映「さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-」を見て、集まった友人で松本先生を偲ぶ食事会して終了の予定でした。その日は一泊して翌日に帰ると。まさか、当日に天気が大荒れになるとは・・・

2023年6月2日(金)

 お別れの会前日、6月2日(金)に台風が太平洋沖を通過、その影響で梅雨前線が刺激され、記録的な大雨が太平洋側に降り、午後から東海道新幹線は雨量規制で運行中止、東名・新東名高速及び中央道が雨量規制やがけ崩れ通行止めになり、愛知県三河地方から静岡県にかけて大雨洪水警報が発令されるなど大変な天気となりました。しかし、翌日には晴れるという予報だったので、東京へ新東名で車で走り、1泊予定で向かう予定でした。

2023年6月3日(土)
 高速道路の状況を早朝4時に起床して確認したら、高速道路の通行止め解除はならず。この時点で静岡県内がまだ大雨状態だったので、JHホームページには、6時から御殿場から関東方面へ通行止め予告されており、さらに中央道も岐阜県内が通行止め解除されていないため、車で東京行くのは無理っぽい感じでした。一般道で行けるところまで行って見ることも考えましたが、この大雨で道路状況が分からず、献花に間に合わないことは避けたかったので、もう少し情報収集してからと思い、次の手段の東海道新幹線は、JR東海のホームページには名古屋・新大阪間が始発から1時間間隔で「こだま」が往復、午前中は名古屋・東京間は運行中止。午後から新大阪・東京間が運転開始。のぞみ臨時列車が12時台に増発という情報だったので、中央道も東名も開通の見込みが無いため、新幹線で東京へ行くことにして荷物を再整理していました。

 午前8時、JR名古屋駅に行こうかと思ったのですが何気に高速情報を確認したら、中央道が開通していることに気づき、「よし!今からなら献花の時間に間に合う!」と判断して、新幹線はやめて、中央道経由での東京上京で強行出発しました。順調に行けば15時台に到着できると。

フジテレビ「めざまし8」より 3日(土)朝のJR名古屋駅の様子

 4日(月)にテレビで見た情報としては、3日(土)の午前中はJR名古屋駅で新幹線に乗車しようと人が殺到、しかし、運転開始した新幹線にはすでに満員で乗車することも出来ず、コンコースで長時間待たされていたというニュースを見て、中央道経由で車で出発した判断は正解でした。中央道開通を知らなかったら、私もこの待機の一人になっていたと思うとぞっとします。

 話しを戻しまして、東名が開通していないため、東京へ行こうと思うと中央道経由が一番早道になりますので、思うことは皆さん同じで中央道は車が多く、集中工事もしていたので、あちらこちらで渋滞、ノロノロ運転もありましたが、なんとか、長野県内に入り、諏訪湖SAで休憩、前日の大雨で諏訪湖が茶色に濁っていたのが印象的でした。この時点で11時30分ごろです。

中央道諏訪湖SA(上り) 諏訪湖の様子

 山梨県へ入ったところで、勝沼SAで休憩、大月JCTから先が「20キロ渋滞2時間」の渋滞情報。この時点で13時台だったので、そのまま渋滞に突っ込んだら間に合わないと判断して、大月JCTから河口湖経由して御殿場へ抜ける中央道の支線と有料道路を通過するルートへ変更。富士山と自衛隊の富士演習場を右手に見ながら走り抜け、御殿場で東名高速に入って東京へ向かいしました。中井PAで休憩して、この時点で14時台。ナビの到着予定時間は16時だったかな。
 東京に入り首都高はいつものノロノロ運転、首都高下りて、東京駅から離れて勝どき駅近くの宿泊するホテル近辺に到着。この時点で15時30分。地下鉄有楽町線月島駅から有楽町駅へ移動、東京国際フォーラムに到着したのが16時でした。一般者が入場開始して2時間後、無事、献花の時間までには間に合いました。


 現地合流で、旧999メーリングリストメンバー3名(SIさん、MAさん、TAさん)と合流。そのうちSUさん1名は16時から別件用事があるということで逢えませんでした。残念。SIさんは新幹線で上京しているのですが、私とほぼ同着ということでお互い大変な上京だったのでした。
 関東メンバーのMAさんとTAさんは、14時に入場して献花は終了して、会場内の様子は分かっているのですが、私とSIさんはこれからなので、もう一度、お付き合いしてくれることに。


 ある程度の人数で区切って順番に会場に案内されて、まずは入口で荷物チェックを受けて、メッセージカードを受け取りました。
 

 入場時に各自にメッセージカードを渡され、松本先生へのメッセージを書いてもよし、お持ち帰りもよしとアナウンスされていたが、事前にメッセージカードを渡される情報は知っていたので、999号に乗車するパスを発行するという構想で、当社の社印と朱肉持参したのですが、メッセージカードを渡されて裏面を見ると、999号のパスでは無いですか。この時点で練りに練ってきた構想が崩れてしまい、さらに手紙も書いてきて、封筒に999パスを印刷したのですが、こちらもTV版のパスで丸被りという結果と相成りました。


 999パスには、自分の名前を書くという想定だと思いましたが、パスには自分の名前は書きませんでした。999号のパスに名前を書くのは、999号に乗車する本人が署名することになっていたかと思います。ですので、松本先生自身に署名してもらおうと空欄にしました。メッセージを書いて社印押印して渡してきました。メッセージ文で漢字を間違えたのはご愛敬ということで。

 会場内に入る前の待機する部屋に通され、スクリーンには松本先生の功績を紹介する映像が定期的に流れていました。


 みなさん待っている間に映像を見ながら静かに待機、時折、スマホで映像を写真撮影。お別れ会ということで、会話も無く静かに待機して、4人ずつ並んで入会場へ案内されました。


 会場内は座席などは無く、ホール奥に松本先生の遺影があり、祭壇は鉄郎とメーテルに見守られながら銀河超特急999号に乗車して、地球から宇宙に旅立つシーンを花祭壇で表現され、地球を花で作り(白・水色・青のカーネーション、スプレーマム、トルコキキョウ、かすみ草など約1万6000本使用)、宇宙へ繋がるカタパルトレールをリアルに表現し、光り輝く星をイメージしたバルーンも祭壇の背景に浮かばせ銀河葬を表現したそうです。
 祭壇中央の遺影は、2020年1月に自宅応接室で撮影されたもので、松本先生が愛猫ミーを抱き柔らかい表情を浮かべている1枚を妻で喪主の牧美也子さんが選んだものだそうです。


 会場へ入るときに水色のカーネーションを受取り、献花をするため祭壇に。すでに第1部に出席している関係者の献花も置いてありましたが、ファンの方々もいろいろな形で献花し、松本先生へ感謝の気持ちを伝えてたと思います。私もこの献花と感謝のメッセージを遺影に向って挨拶してきました。なんか、ようやく実感が湧いてきたという感じです。

 著名人のお別れ会って、テレビとかで見たことある程度しか知識が無く、ファンの方向けのお別れ会は初めての出席になります。葬儀とは違うという認識はありますが、主催者側として哀しい雰囲気にはせず、イベントに近い感じでファンの方々へのお別れ会にしたかったのかも知れません。

 祭壇の両脇には、待機スペースで流れていた松本先生の功績をたどる映像が流れ、定期的にピアノ生演奏、サックス四重奏のミニコンサートが開かれていました。


 会場の右側には、松本先生の誕生から近年までの功績を紹介したパネルが展示されていました。写真撮影は禁止されていないため、みなさんじっくり見ていたり写真撮影していたりな感じです。


 会場後ろには、フォトスポットで999号機関車さん内部が展示されており、平面ではなく、ちゃんと奥行があるもので、みなさん記念撮影されていました。第2部開始の14時台は、車掌さん(お宮の松さん)が記念撮影のお手伝いをしていたそうです。私が入場した16時過ぎは、会場内には車掌さんはおらず。


 会場左手には、祭壇に供花した方々の名前のを記した掲示板がありまして、名前を見ると大御所の方、声優関係者、東映グループ、今まで関係してきた会社の社長や役員の方々、プロダクションなど「あいうえお順で記載されており、その中に一般のファンの方々と思われる名前もありました。私も夫婦連名で供花しましたので、自分たちの名前は確認しました。


 会場を出るのが名残惜しいのですが、追悼上映する丸の内ピカデリーへ「さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-」を見るために会場を出ました。出るとき、車掌さんにメッセージを渡すようなことが事前情報として聞いていたのですが、入場時にいただいた999号パスのメッセージカードと松本先生へのお手紙は、スタッフの方にお渡ししました。
 返礼品として、「時の輪の接する処で」とメッセージが記されたカードを頂きました。

表面 裏面

 会場を出ると、夕方の西日がまぶしく、松本先生がかぶっていたドクロのマークが入った帽子、メガネ、画材が展示されていました。祭壇の遺影より、こちらのメガネや帽子はイベントでよく見ていたものだったので、「ほんとにお亡くなりになったんだ。」とものすごく実感したのでした。


 「松本零士先生のお別れの会」に関しての情報は、メディア報道による第1部、一般ファン向けの第2部があり、ここでは第2部をメインに書きましたが、銀河鉄道社長室で第1部の情報を整理しています。

 前日の大雨による新幹線、高速道路の通行止めという想定外の状態ではありましたが、無事、献花もでき、松本先生へのお手紙も渡すことが出来ました。しかし、私の追悼の区切りは完了しておらず、大泉学園駅への移動は時間的に厳しいため、翌日の帰宅前に寄り道することにして、このあとは追悼上映の丸の内ピカデリーへ向かいます。

 その前に、私に会いたいというSOさんと付添のWAさんと出口で無事合流。SOさんは、昔からのホームページの常連客の方で、耳が聞こえないため手話での会話になりますが私は出来ないので、付添のWAさんが手話で通訳してくれて短い時間でしたが挨拶が出来て良かったです。SOさんとWAさんは追悼上映には行かないので、まだ献花受付終了まで時間があるため、もう一度、献花するため会場に戻って行きました。

 東京国際フォーラムを後にして、追悼上映が行われる「丸の内ピカデリー Dolby CINEMA」へ移動。劇場版「さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-」ドルビーシネマ版を予約していたので鑑賞へ。名古屋でも鑑賞していたのですが、これが2回目となります。

 ロビーまでエレベータで上がると、チケット引き換えする人と売店でグッズ購入する人と軽食を購入する人と大混雑。グッズ売り場の写真は映画が終わったあとなんで空いているように見えますが、映画前はこのグッズを買う方々がいっぱいで何を売っているかも分からず。物販注文書がカウンターにありましたのでもらってきました。


 18時になって映画館に入場。軽食も並んでいて間に合わなかったので、定番のポップコーンも買えず。映画の最後は、名古屋で見たときはエンディングで拍手は無かったのですが、今回は拍手で映画は終了。
 毎回、エンディングの「SAYONARA」が流れ、スタッフロールで声の出演の方々が流れると、当時の「これで銀河鉄道999が終わりなんだ・・・」という子供の頃を思い出して、目頭がウルウルとなります。「さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-」は、私が初めて子供の時にスクリーンで見た映画です。1作目の「銀河鉄道999」をスクリーンで見たのは大人になってから。だから、「さよなら銀河鉄道999」は思い入れの強い作品です。

 映画も終わり、本日のラストスケジュールである松本先生を偲ぶ食事会となります。SIさんがお店を予約してくれて、「銀座イタリー亭」へ。ここで同じ愛知から車で走ってきたTUさんと合流。イタリアンレストランで、松本作品の話しやイベントでの話しで盛り上がり、あっという間にラストオーダー。久々にオフ会って感じでした。今日はここでお開きとなり、私は本日の宿泊地へ。


2023年6月4日(日)
 大雨による交通の混乱が無ければ、今日は帰るだけの行程だったのですが、西武大泉学園駅の名誉駅長車掌さんに挨拶をせずに帰るわけには行きません。宿泊地から大泉学園駅まで車で移動です。勝どき駅から一般道で移動したので意外に遠かった。

 大泉学園駅に到着。まずは名誉駅長が勤務している西武大泉学園駅構内へ入りましてご挨拶。実は、西武鉄道を代表して、お別れ会会場に出張しているのでは?と思ったりしたのですが通常勤務でした。

 名誉駅長の車掌さんから敬礼を受け、勤務を忠実にこなしている様子を確認できました。制服も汚れておらず、きちんと管理されていることも確認できましたので、次の目的地・石神井公園駅へ電車で移動します。「銀河鉄道999」のマンホールカードが石神井観光案内所でもらえるためですが、「銀河鉄道999」のマンホールは大泉学園にあるんですよね。
 石神井公園駅の改札を出て、すぐ横に観光案内所があり、マンホールカードを確保して任務終了。


 あとで聞いた話だったので購入していませんが、その観光案内所で菊屋という和菓子屋さんが製造している「ちょことら」というどら焼きが売っていたそうで、「ゆめーてるちゃん」の焼印入りがあったようです。マンホールカードだけもらって、観光用商品が陳列されていることは把握していたのですが。後日調べたら、大泉学園駅前のゆめーてる商店街に店舗があることがわかったので、次回は店舗で購入してみたいと思います。

 マンホールカードをもらって、石神井公園駅から大泉学園駅へ戻り、今度は、「銀河鉄道999」のマンホールを撮影するため、ゆめーてる商店街へ。今度は鉄郎さんとメーテルさんに挨拶にいくため、大泉アニメゲートへ。


 メーテルさんも変わらず、鉄郎さんのパスも拝見して、こちらもきちんと管理されているんだなと思いました。ここにアニメゲートが出来てからは、来るたびに思いますが記念撮影している方が多いですね。私が行った時も記念撮影している人がたくさんいました。おそらく、お別れの会で東京へ来て聖地巡礼している方々と思われる。


 大泉アニメゲートの下に設置されている「銀河鉄道999」の大壁画を見て、マンホールを探しにゆめーてる商店街へ。駅前から真っすぐ妙延寺方向へ歩いていくと、大泉ゆめーてる商店街の街路灯にある999号があるのですが歩道の隅っこにメーテルさんを発見。無事、マンホールの現物を見ることが出来ました。大泉学園のマンホールは情報としては知っていましたが、現物を見るのは初めてです。写真撮影したのですが、天気も良かったので街路樹の木陰が入ってしまいましたが、なんとか良い感じで写真撮影終了です。これで予定していた松本先生への追悼と巡礼が終わりまして帰宅の途につきました。帰りの東名高速は渋滞もなく、スムーズに帰ることが出来ました。

 「松本零士先生のお別れの会」への献花、と手紙を渡すため、そして私なりの追悼ということで、今回、大雨によって東京へ来るための手段が大混乱で、高速も通行止め、新幹線は午前運行中止と、献花に来られなかった方々も多い中、一時は東京へ行くことをあきらめかけたのですが、タイミングよく中央道の通行止め解除で東京へ来ることが出来たことが運がよかった。これで、一区切りが出来たと思います。

情報元
 
備考     
銀河鉄道株式会社 様式4.5

 



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