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車掌室

車掌の乗務日誌 番外編

 11月3日(月・祝)に宝塚で開催されました「手塚治虫生誕80周年記念地域活性化シンポジウム-手塚治虫を超えて未来を拓こう-」の講演会に行ってきました。

 



銀河鉄道株式会社 車掌区 No.000
乗 務 日 誌 

2008年11月03日(月)   天候:晴

区長

 

主任

 

 11月3日(月・祝)に宝塚で開催されました「手塚治虫生誕80周年記念地域活性化シンポジウム-手塚治虫を超えて未来を拓こう-」の講演会に行ってきました。天気も晴れて良かったです。兵庫県宝塚市は手塚さんが5歳から約20年過ごした場所だそうで、学生やファン約200人が参加しました。あとで気付いたんですが、この日は手塚治虫先生の誕生日だったんですね。講演会の中でそのことを知りました。(^^ゞ

 まないたさんと小浜市の講演会で知り合いました岡山のファミリーも一緒に現地で集合して、何の打合せもなく暗黙の了解ともでも言いましょうか、まないたさんが良いポジションでの座席の確保、岡山のファミリーが松本先生のサイン色紙が講演会後に先着でもらえるという事前情報、私らは子供がいますので、子供も一緒に講演が聞けるかどうかの問い合わせと家族室という部屋で、子供が若干騒いでも講演会場には声が漏れにくいという防音室みたいな部屋を教えてもらい、それぞれの場所へ移動、講演会へと臨みました。

 講演会では、松本先生の他に、手塚治虫プロダクション社長の松谷氏、司会進行の岩崎氏の3人で、第一部「基調講演 手塚治虫の苦悩と努力」と題した講演がはじまりました。松本先生は15歳の時、デビュー作「蜜蜂の冒険」で「漫画少年」の第1回新人王を受賞したとき、手塚先生が選考委員をしていたそうで、漫画家同士として本格的な交流が始まったのは手塚先生の新聞連載の作品を手伝ったのが、「運命の巡り合わせと思う」ということらしいです。松本先生が貴重な写真や手塚先生の直筆のイラストやエピソードを披露しながら、松本先生から見た手塚治虫先生のお話がはじまりました。「鉄腕アトム」の試写会で映写機を貸したことなど手塚さんとのエピソードを披露し、若い世代に「何を伝えるかという断固たる目的意識が必要。時間という宝物があなたたちを支えているので、頑張って」とエールを送りました。さらに「手塚漫画は永久不滅。同じジャンルで巨匠を超えることは不可能」と強調していました。
 松谷氏は手塚治虫先生の側近中の側近の方で、仕事を一番近くで見ていたことで、「手塚作品はどれも命の貴さや戦争の悲惨さ、平和の大切さを訴えている。普遍的なテーマが世代を超えて愛される理由」と説明していました。

 松本先生は、手塚治虫先生との体験話で貴重な写真やスケッチブックに手塚先生が書いてくれたイラストなど公開しながら、手塚治虫先生の苦労したお話しや努力していたという話をしていました。
 松本先生も絶好調で講演が進み、スケジュールが遅れると思っていたんですが、司会者が時間通りに進行させ、第一部の基調講演が終わりました。

 第二部では、「マンガの未来を語る」ということで、マンガ家を目指す学生5人が登場し、各自制作したマンガを松本先生や松谷氏に披露して、講評を頂くということで2分間の持ち時間でプレゼンを行いました。松本先生らも演壇から降りてきまして、我々が座っている客席に移動。これまた私らの目の前に陣取りまして、それぞれが披露するマンガをじっくり見ておりました。
 講評を聞いていて、松本先生の助言で印象的だったのが、「何事も経験」だそうです。松谷氏の助言では、「手塚治虫先生や松本先生は、15歳のころにマンガデビューしているので・・・・」と厳しい意見もありましたが、学生にとっては漫画家として時代の先端を走っていた松本先生や手塚作品に携わって長い松谷氏の意見は、おそらく大変貴重なものだったと思います。

 講演会終了後、手塚治虫記念館において松本先生のサイン色紙が先着50名にプレゼントということで、我々、男性部隊は、先に手塚治虫記念館へ直行。私で39番目でした。子供と嫁さん達は、あとで集合と言うことでサイン色紙がもらえることができました。サイン色紙の情報はどこにも書いていなかったのでラッキーでしたね。
 写真には残しておりませんが、手塚治虫記念館も1時間ぐらい見学、手塚先生の貴重な原画や松本先生の手塚先生に対する思い出とかのインタビュー映像も流れていました。初めて入館しましたが結構、規模の大きい記念館でした。今度、時間があって宝塚に行く用事があれば、再度来館してみたいと思いました。

備考
銀河鉄道株式会社 様式4.1

 


 

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