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Steam Locomotive C62 掲示板 過去ログ 
2000年7月分


3号機に会えるかな?

 投稿日 2000年7月28日(金)11時07分 投稿者 嵐三太勇 [d30185-062.tiki.ne.jp] 削除

苗穂工場に入って、C11 207や、C62 3も見てみないか?
と言うわけで此方をご覧下さい。

http://w1.alpha-web.ne.jp/%7Ejrhshiku/osusumesl.html


C62ファンにぜひ!
 投稿日 2000年7月28日(金)10時01分 投稿者 嵐三太勇 [d30185-178.tiki.ne.jp] 削除

現在、全国民放ラジオ99社統一キャンペーン
NTTコミュニケーションズプレゼンツ
「あなたに伝えたい私の好きな音風景」と言うのがあります。

あなたが人に伝えたい音風景を、
音の種類とその音にまつわる簡単なエピソードと、
必要事項を明記の上、お聞きの放送局までご応募下さい。
応募には下記の4つの方法があります。
 1 キャンペーンチラシにある所定応募用紙を郵送またはFAX
   ※キャンペーンチラシは各放送局に設置されています。
 2 ハガキまたは書面にて必要事項を明記の上郵送
 3 必要事項を明記の上、Eメールにて送信
 4 ホームページ内の応募フォームにて送信

http://www.ntt.com/oto/

本来ですと現役機関車の音も良いのですが、
此処は是非、C62に関してのエピソードとか書いて送ってみては如何ですか?
「ニセコ号」の爆音とか、「梅小路機関車館の汽笛」など…
(例ですけど^^;)
C62再ブームの火付け役に役立つかは分かりませんが、
皆様、宜しくお願いします。
http://ww5.tiki.ne.jp/~bishanohana/kifujin.htm


お久しぶりです
 投稿日 2000年7月23日(日)20時53分 投稿者 s26 [pc4.catseye-to01-unet.ocn.ne.jp] 削除

最近、鉄道模型の運転会の準備が忙しく、ご無沙汰しておりました。
新しい方の書きこみもあって、相変わらず盛り上がってますね。
新しい方皆さん、よろしくお願いしますね。

で、空転のお話が出ていたので、1988年のC623本線試運転時に起こった
エピソードをひとつ。
その時機関士二名と父が乗務していたのですが、某峠で空転を起こし
C623は止まってしまいました。
いくら再引出しを試みても引き出せず、父はバケツを持ってサンドドームまで登り
砂をバケツに入れ、歩きながら砂を撒いて峠を登っていったのだそうです。
たまたまその場に撮影に来ていたマニアはその様子を見て、「バンザイ!」
と、はしゃいでいたとの事でした。
見ているとダイナミックな「空転」ですが、「黒煙」ともども機関車や
機関士さんにとって、いいことは一つも無いのですよね。

と、言う話でした。


C62重連の記録 105レ 聞きました
 投稿日 2000年7月22日(土)00時41分 投稿者 三面怪人 [tkyo5528.ppp.infoweb.ne.jp] 削除

連続書き込みで失礼します。
前に書き込みした、上記のカセットですが、
キングのCDで「C62の高速走行音が連続して聞けるのはこれだけかも」と書き込みましたが、あっさり訂正します。
こっちのほうが、はるかにすごいです。(^^)
46分テープで
A面
1、長万部 大空転発車
2、二股〜蕨岱 車上録音
3、熱郛〜上目名
4、上目名臨時停車
B面
1、倶知安給水
2、倶知安発車
3、小沢〜銀山
4、小樽到着

A面最初の大空転発車はトリハダものです。空転しながら加速してゆくC62重連のパワーに圧倒されます。
B面小沢〜銀山のすばらしい加速も復活蒸機ではみられない「本気走り」です。
最近のデジタル録音にくらべれば音質は劣りますが、それ以上に胸があつくなる一枚です。(興味ない人にはただの騒音でしょうが、、、私も家ではヘッドフォンでないと怒られます(^^;)
申込先は
333-0865 川口市伊刈1260
しずはたビデオ企画
本日発売の鉄道ファン誌9月号209Pにも案内がでています。
お値段は送料込み2600円。
105レの他、カタログには呉線音戸C6215とか矢立峠、青井岳など聞きたくなるメニューがいろいろ、、
とりあえず次は音戸を注文します。


盛り上がりましたミニオフ会
 投稿日 2000年7月22日(土)00時13分 投稿者 三面怪人 [tkyo5644.ppp.infoweb.ne.jp] 削除

帰国された末吉さんを囲んでの鉄話し、ほっとけば一晩中でもしていたかも、、、
参加者は、末吉さん、だいさん、manasayuさん、Sさん(多分明日にでもこの掲示板に登場するでしょう)、私の5人。
末吉さんの持参された蒸機の音を聞くために、音を出しても文句言われないカラオケボックスでエンエン4時間、(もちろん1曲も歌わないで)末吉さんの写された60年代の写真にはため息と感嘆の連続でした。
話題はアメリカの鉄道、C623の現状、模型、ばけぺんのトラブルなどなど熱い鉄話しが続きました。
こういう機会ができたのも、この掲示板のおかげと感謝しております。
お集まりいただいた方々には、場所代がかかりすぎてしまってもうしわけありませんでした。m( _ _ )m


あれから5年...
 投稿日 2000年7月21日(金)21時38分 投稿者 NORTH DRAFT [cs25729.ppp.infoweb.ne.jp] 削除

  <あいてつ様
 素晴らしい「自己陶酔」をありがとうございました。
私も当時を思い出し、目頭が熱くなりました。

本当に最後の二日間は空転の連続で、特に11/2は然別―銀山で
止まってしまい。倶知安峠で我々は2時間近くまちぼうけを
食らわせられるはめに、その間にせっかくの雪がどんどん解けて...。

あれから5年ですか、早いですね、まさかあれで本当に終わるとは
思ってなかったですね、C11を2台復元するならC62を復活させられた
のにね。

C11207ニセコ号用の旧客が今のところ、ほぼ大きな改造は
無いような話が入ってきました。本当にうれしい、ありがたい事です。
これが本当なら、いつの日かC623が帰ってきた時に「本物の汽車」を
再現できます。
そのためにC11、2台に小銭を稼いでもらって...。


あの日、私は…
 投稿日 2000年7月21日(金)02時05分 投稿者 あいてつ [ppp19.mitaka-ap4.dti.ne.jp] 削除

皆様、はじめまして。

先日、C62関連のHPを探していたらこのHPにたどり着きました。

私は昭和40年生まれなのでC62に関しては重連急行ニセコをTVで見た記憶があります。
当然ながら実際に動いているのを見たのは3号機の復活運行になります。

でもC62に興味を持ったのはやはり名作「銀河鉄道999」ですね。復活運行の
3号機を小樽駅で見た時は劇中の主人公の星野鉄朗の気分でした。
おもわず出た言葉は「こ、これが999…」と言う感じですかね。

復活運行が始まった年は「我が青春の航跡」というべき青函連絡船が終航した年で
した。しかし6月からのアンコール運行が始まり最初は「ついで」感覚でC62に
乗りに行きました。しかし小樽駅での3号機との出会いは衝撃的というべきか、
熱い命の炎をみなぎらしたC62の魅力に一瞬のうちに取り憑かれてしまいました。
あの飛行機のジェットエンジン音を思わせる金属音と魂に訴えかけるあのドラフト音
は今もはっきりと覚えています

できる限り渡道した際はC62ニセコに乗るように日程を組んでいましたが、
平成2年6月に夢空間北斗星号で彼女と旅行した際のことです。
札幌到着後に快速マリンライナーに乗り換えて小樽回りで当日宿泊地の最寄り駅
であるニセコ駅に着いたときのことです。当日はC62運航日ではないのにホームに
青い旧客3両と黒い大きな機関車が止まっていたのです。もう私の頭の中はパニック
状態でした。

なんでも当日は遠足の小学生を乗せた臨時扱いでC62ニセコが運転されていたの
です。この日の運転は鉄道雑誌等には公表されていなかったのでニセコ駅のホーム
では私と彼女の二人だけの貸し切り状態でしばしC62を独り占めさせてもらいました。

発車時間まで時間があったので機関士さんや車掌さんとお話しすることもできたので
ととても幸せな時を過ごせました。もちろん出発の際はC62と乗客の小学生達に
手を振って見送りました。この時の感激は今も忘れられない思い出です。

時は過ぎC62ニセコ最終運航日がやってきました。最終運航日の前日は私の誕生日
だったのですがC62に会いたい一心で夜勤明けの疲れた体に鞭打って、東京から
やまびこ〜はつかり〜北斗と乗り継いで小樽市銭函にある定宿に辿り着きました。
その日の夜、稲穂峠で撮影に行っていた友人から「今日の運転は空転がひどく前進と
後退の連続運転だったので最悪の場合、明日の最終運転は往復ともDLの補機を
付けての運転になるかもしれない」というTELをもらい不安になりました。

しかし当日は空転に悪戦苦闘しながらも必死に峠を越えるC62の姿がありました。
然別あたりから空転がひどくなり、はっきり言って稲穂峠では自転車より遅い
スピードでした。でも同じ車両に乗り合わせた子供が窓から顔を出して
「ガンバレ!ガンバレ!」とC62に向かって叫ぶ姿と3つの大きな動輪が空転する
形相を見ていると負けず嫌いのおじいさんが可愛い孫から応援されているように
見えて思わず目頭が熱くなってしまいました。

無事、峠を越えて羊蹄山を見ながら倶知安の街に着いた時の安堵感は乗客の私でも
格別なモノがありました。ニセコ駅到着後、ターンテーブルに乗り、最後の方転を
行うC62を見ているときの寂しさもまた筆舌に表すことはできません。

C62は客車との最後の連結を終えて復路の旅路の準備に入りました。私は当日の
機関助手を務められた山口憲二氏にお願いしてキャブ内に転がっていた一粒の石炭を
もらいました。この石炭は私にとっては「黒い」ダイヤモンドです。いつの日か
C62が復活したらこの石炭を炎燃えさかる給炭口に投げ込みたいと思っています。

復路は小樽寄り最前部客車の洗面所から機関車に向けて固定アングルでの撮影を敢行
しました。最終日の下り列車の最前部車両から赤いダウンジャケットの腕をのぞかせて
ビデオを撮っていたのは私です。もしかしたらこの掲示板を見ている方の撮影の邪魔
になっていたかもしれませんね。この場をお借りしてお詫びいたいします。

でも復路の撮影は想像を絶する環境になりました。ニセコ出発後にシンダーがカメラ内
に入り込んだのか倶知安までカメラが一時故障を起こしてしまいました。
倶知安駅からビデオが復旧し、撮影再開です。名撮影地である北4線踏切を通過した
とたん雪が降り始め、過酷な峠越えの戦いが始まりました。

沿線では氷雨降る中、ズブ濡れになって撮影するファンの方々には頭が下がる思いです。
やがて最後の停車駅の塩谷を発車するとき、C62はとても長く、哀愁に満ちた汽笛を
鳴らしました。

それはあの青函連絡船が出港時に鳴らす汽笛「長声一発」を思わせてくれます。
列車が動き出すと車掌さんが駅で見送るファン、街の人達に向かってこの日初めて
「さようら。ありがとうございました」と言いながら手を振っていたのです。
もうビデオのファインダーを覗く私の目は涙にかすみ、わずかに塩谷駅はずれの
立体交差に交通整理のために(はっきり言ってあの群衆に対して打つ手ナシ)
止まっているパトカーの赤い回転燈しか見えなくなりました。

C62はオタモイの峠道を咆吼とも思える汽笛を鳴らしながら驀進します。それは
まるで「俺はまだまだ走れる!いつか必ず後志の峠道に帰ってくる」と言っている
ようでした。小雨模様の雨は列車が小樽市街に入ると雨足が強くなり、まるで天も
C62のために泣いてくれているようでした。

ニセコ出発時から雨に打たれ続けたビデオカメラも悲鳴を上げています。しかし私はあと少し、
「あと少し頑張ってくれ!」と訴え続けました。以心伝心したのかカメラは無事、
小樽到着時まで耐えてくれました。(その後オーバーホールに出す羽目に…)

小樽到着後は大勢の人がC62のキャブ周りに集まり機関士さんと握手をしていま
した。しかし別れを惜しむ間もなく、すぐにC62は単機回送されていきました…

なんか一人でキーボードをたたきながら酔ってしまった文章になり失礼しました。
「自己陶酔」の激しいある一人のファンの独り言でした。


発売
 投稿日 2000年7月20日(木)19時32分 投稿者 アレックス [hchca-0115p146.ppp.odn.ad.jp] 削除

JR北海道で [Steam Locomotive C62] というオレンジカ-ドが発売されました。
1000枚限定なのでお早めに。



毎度ご来館ありがとうございます。

 投稿日 2000年7月18日(火)12時16分 投稿者 ひろし館長 [ksgm61p09.ngy.1st.ne.jp] 削除

みなさん こんにちは
私事ですが明日から日曜日まで、海外を含む旅行に行って参ります。(^^)/
行ければ、韓国ソウル周辺の電車事情なんかも取材(笑)して参ります。

で、前回の返事から、よくよく見てみると次のページまで行っていたんですね。
だいさんからのダイヤ表は、ものすごく好評だったですね。
これだけ、一気に盛り上がってしまうとは、ちょっと予想外でした(^^ゞ
それだけに、撮影しに行った方々には、思い入れのあるC623だったと言うことが
ここ最近の書き込みでわかりました。

末吉さんが帰国すると言うことで、ここの掲示板が元でオフ会みたいなモノが
開催されると言う話もメールで頂きました。
私は、同じ期間は旅行中なんですがみなさんも楽しんできて下さい。

それと、玉井さんと言う方から、C621が広島鉄道学園に保存されていた当時の
写真を資料提供して頂きました。「C62の経歴」のページのC621のページに
写真を追加してあります。
今は、鉄道学園は無いようですね。更地になっているとか・・・

それでは、新規のお客様がいらしているのでご挨拶を・・・
manasayuさん こんにちは&はじめまして

>C62の思い出話だけでなく、再復活の情報や
>提案など、意見交換ができたら楽しいですね。

そうですね、当館の掲示板の特徴は、今現在、C62がどこにも走っていない
現状から、どうしても昔の話で盛り上がってしまう傾向があります。
でも、それはそれで当館の特徴として、上手く運営できているんではないかと。
昔の話で盛り上がる中にも、模型話やCD、ビデオなどの発売情報ネタなども
情報提供され、それぞれの話題や世代で盛り上がっていっています。
結果的に掲示板を分離させたのが良かったのかなぁ。

イベントや再復活の情報などは、ここの掲示板やメールで頂いた情報は
「C62 Museum Magazine」のページでまとめて掲載しようと思っています。
ここの掲示板は、みなさんの書き込み次第で、運営方法の流れも変わってきますんで
お気楽に書き込んで下さい。


今回は全員への返事が書けなかったんですが申し訳ない(^^ゞ

それでは、またのご来館をお待ちしております。
行って来ま〜す!(^^)/~~~



ぽすたーのこと

 投稿日 2000年7月17日(月)02時53分 投稿者 はぎ [d2e0918e.tcat.ne.jp] 削除

>ひろし館長さま
マイクロエースのポスターはまだ貼っておきたいそうなので
もちょっと待ってね(でも大した物ではない)。
Nゲージは専門外のはぎでしたー!!


予約しました。
 投稿日 2000年7月16日(日)02時52分 投稿者 XJR [ppp03053.kisweb.ne.jp] 削除

ひろし館長様、大変ご無沙汰です。ようやく自分用pc入手できました!
簡単ながらご挨拶させて頂きます。

本題ですが、今日(正確には昨日)某模型店にてマイクロエ−スC62−1の中古が
単品で売りに出されていて、生憎とお金が無かったので、「来月支払いますんで、
取っておいて頂けませんか?」と聞いたところ、快諾して頂きました。
給料が入り次第、取りに行こうと思います。
これで、「梅小路の兄弟」が再現できます!が、牽かせる客車がカト−の44系
12連しかない・・・。

現物を見た印象ですが、どちらかというと、登場時に近い印象でした。
なぜなら、テンダ−後ろが直線(C59的)、配管が2号機に比べて少なく、
なんとなくのっぺりしてました。

早く持って帰って、2号機と並ばせてみたいです!

余談ですが、こちら関西では、3号機が比較的多く残っている印象があります。
関西では、C62といえば、2号機のイメ−ジが強いんでしょうか?

模型話で御免なさい〜。


はじめまして
 投稿日 2000年7月15日(土)02時01分 投稿者 manasayu [p8b9ce4.tokyjk08.ap.so-net.ne.jp] 削除

三面怪人さんから教えて頂いてお伺いしました。
NORTH DRAFTさんもいらしてたのですね。C62専門の掲示版とは嬉しい限りです。
「C623ニセコ号」が復活した時、「今になっても、こんなにも熱くなれる。
こんなにも感動できる。」と、稲穂峠や倶知安峠を走り回ったのが
つい先日のような気がします。C62の思い出話だけでなく、再復活の情報や
提案など、意見交換ができたら楽しいですね。「同時発車」や「交換」など
いろいろなイベントで「蒸気機関車新時代」を予感させますが、だからこそ
今またC62の感動をぜひ体験してもらいたいですね。
ひろし館長さん今後とも宜しくお願いします。


「ていね」でした
 投稿日 2000年7月15日(土)01時32分 投稿者 三面怪人 [tkyo5146.ppp.infoweb.ne.jp] 削除

↓の書き込み「105レ急行ていねの記録」です。
当時結構話題になった1枚です。

申込先などはメールいただければご連絡します。


キングのCD聞きました
 投稿日 2000年7月15日(土)01時28分 投稿者 三面怪人 [tkyo5146.ppp.infoweb.ne.jp] 削除

感想は、やっぱりすごい、です。(^-^)
特に長万部発車からの添乗録音、C62の高速走行音があれだけ連続して今聞けるのは他にないのでは?
ただ、昔の音源のため汽笛が割れていたりするのが残念。
仙台での急行みちのくの発車シーンもジーンときます。
拍手に送られて最後の旅立ちをするC62、、、、
音として楽しむには、欠点もありますが、記録として聞くとこれはすばらしい1枚だとおもいます。
なお、キングでは現行版とのことですが、今の在庫がなくなったら再プレスするかどうかはなんとも、、、とのこと。
今のうちに手に入れといたほうがよさそうです。

もうひとつ、C62の音では自主制作の「105レ急行ニセコの記録」というのを注文しました。(カセットです)
JSMというレーベルで制作された一連の「記録」シリーズの一つです。
聞いたらまた感想書き込みます。


C62ニセコのビデオ
 投稿日 2000年7月14日(金)23時00分 投稿者 NORTH DRAFT [cs25634.ppp.infoweb.ne.jp] 削除

 C62ニセコのビデオは何十本と出ていた、と思いますが
中でも、秀逸なのは「シロクニ峠を駆ける」です。

自主制作の16ミリ映画をビデオ化したもので、C62ニセコ
運転最終日にニセコ駅前で上映されたものですが、
東映のプロの映画カメラマンが撮っただけあって、
素晴らしい内容で、C62のサヨナラとも合間って、
本当に泣けてきました。今ビデオで見てもジンときます。
特にラストの然別付近の追走はすごい迫力とスピードで
迫ってきます。

もし見たい方がおられましたら、作者に連絡とりますのでメールで
ご一報ください。


ビコムのビデオ
 投稿日 2000年7月14日(金)14時04分 投稿者 jsasaki [tlwall2.net.tytlabs.co.jp] 削除

>嵐さん
「思い出の中の列車達シリーズ C62 3」でしたら、
私もっていますので、私の感想を少し。
一言で言えば、「淡々と綴った記録ビデオ」です。
小学館の「C62」は、3号機だけじゃないですが、あれも
記録ビデオですよね。あれよりももっと淡々としてます。
あまりにも淡々とし過ぎて、ちょっと退屈かも。

ニュース番組で例えるなら、ビコムのは「ニュース10」で、
小学館のは「ニュースステーション」って感じかな?
(フォローを誰かお願いします)

とは言っても、復活したニセコ号についてまとめたビデオは、
あれくらいしかないから、復活ニセコ号が好きなら、
もっていても損はしないと思いますよ。値段もお手頃だし。

余談:他にもビコムのビデオ持ってますが、どれも
淡々としてますね。記録ビデオということを意識して、
編集されているのでしょうか。


映像資料、どうも有り難う御座います。
 投稿日 2000年7月14日(金)12時15分 投稿者 嵐三太勇 [d30185-160.tiki.ne.jp] 削除

資料探す時に行く書店がある「SG百貨店」。
近くの小倉にもあるのでちと心配です。
営業はしているのですが…

先日送られてきた「さよならC62」、鑑賞しました。
自分は学生時代ラジオッ子だったもので、「ジェットストリーム」の
印象が強いんです。城達也さんは。

しかし、自主制作の映画とはいえ、良くできた内容ですね。
文章は城さんがおこしたのか分かりませんが、C62の素晴らしさが凄く伝わってきます。
思うに収録でロケハンを組むとしたら、あれだと最低半月はかかると思いますよ。
(ただ、古いマニアの方には「ナマの音じゃないと嫌!」とかで、
BGMが余計に聞こえるかもしれませんが…考え過ぎか?)

でも三重連か…
自分たちの世代だともう「夢物語」にしか過ぎないのかな〜。

今度、博多にいる知人にも見せてみます。

ところで、まだ買っていないので皆様の評価を尋ねてから、と思いまして…
ビコムからもC62 3のビデオが出ているはずなのです。
たしか、復活当日から、休止までの映像が入っているもの。
「思い出の中の列車達シリーズ C62 3」というモノです。
お薦めものなのでしょうか?

(詳しくは http://www.vicom.co.jp/

http://ww5.tiki.ne.jp/~bishanohana/kifujin.htm



C62のCDを聴いて

 投稿日 2000年7月11日(火)17時28分 投稿者 jsasaki [tlwall2.net.tytlabs.co.jp] 削除

先週末、キングレコードのC62のCDを聴きました。
私自身の感想は、良く言えば、おいしいとこだけ集めたCD。
悪く言えば、ストーリ性が少ないCDってとこです。
空転の音なんかも入っていて、楽しいのですが、
QtecのCDの方が私好みでした。

夏休みの土日に梅小路で夏休みイベントがありますね。
写真撮影会と称して3、4台の機関車を屋外に出したりするそうですが、
C622やC621を屋外に出してくれるとうれしいですね。
(それも国旗等の掲揚なしで、つばめのHMなんか付けると一層うれしい)
(残念ながら、重連のことは書いてなかったので、重連はないでしょうが)


狩太
 投稿日 2000年7月11日(火)10時16分 投稿者 すわろーえんじぇる [sk01.senko.co.jp] 削除

みなさん、いろいろ保存されていて羨ましいですなぁ。
山線から重連が消えるS45〜46年前後は、たしかに全国的にSLブームになって
いて、急行「ニセコ」なども路上でのポスター売りもよくありました。
わたしの家は空いていたすべてのスペースがC62のポスターに占拠されました。

館長様、どうでもいいことなのですが、(一般には)2号機は「スワローエンゼル」だった
と思います。どちらも正解とも思われますが・・・
わたしが紛らわしいHN使ったもので、あいすいません。

>三面怪人さま
日暮里ですか。あの辺はぼーっと汽車(電車)を眺めるにはいいところですよね。
界隈についてはそんなに詳しくありませんが、お墓が日暮里にあったので(今もですが)
小さいときからよく連れて行かれました。
わたしが見たのもC57かも知れませんね。覚えがあるのはオリンピック以降だと
思いますがどうなんでしょう???
「ていね」に連結されていたのはマシだったのでしょうか。当然、わたしの食堂車
初体験はこちらでなされました。

>NORTH DRAFTさま
北四線にそんなにですか?すごいですねぇ。
今回の山線迂回でもずいぶんと賑わったようですね。やはり、行かれましたか?

まったくの余談ですがわたしが初めて見た「ニセコ」駅は当時「狩太」という駅名
でした。その後、S43〜4年頃?だと思いますが「ニセコ」に改称。
国鉄初のカタカナ駅名だったように記憶してますが・・・違うかな?

>末吉 哲さま
もちろん「ていね」希望しますよ。あとでメールします。

思いは人それぞれですけど共有できる何かがあるって、それだけでもいいような
気もします。
それにしても「急行ていね」が当たり前にカキコされる掲示板って、すごい。


ひろし館長お久しぶりです。
 投稿日 2000年7月10日(月)19時18分 投稿者 秀里 [jnclic-25-174.ppp.justnet.ne.jp] 削除

そしてダイヤ作成お疲れさまでした。
ただ、時刻表の上りと下りの表記が逆じゃなかったですか。小樽からニセコが上り……
それにしてもこちらの掲示板もますますにぎやかになってきましたね。
いろいろな情報を知ることが出来ていつも楽しみにしております。
さらに充実したサイトになることをくさばの陰??から願っています。
http://www3.justnet.ne.jp/~hidesato/


C62ニセコ 95,11,3
 投稿日 2000年7月10日(月)15時23分 投稿者 NORTH DRAFT [cs25611.ppp.infoweb.ne.jp] 削除

C62ニセコ、最終日の下り、結局迷ったあげく、稲穂の大俯瞰に行って
しまった、雨の峠道、空転を繰り返しあえぐC623に、感涙はしたが
悔いは残りました、 最後は接近戦で近くで見送りたかったな、
そうかいっそう、究極の俯瞰地「屏風岩」で見送りたかったと思っています。

でもあの時はまさかあれで最後とは思わなかった、なんかすぐにでも
スポンサーがつくかJRが走らせると思っていたから、

>すわろーえんじぇる様
 「北四線」は本当に良いところです。今まで100回以上行きました、
C62が消えてからでも、20回は行ってる、汽車が来ようが来まいが、
倶知安へ行けば「キタヨン」に行くのが日課です。

この羊蹄山バックの写真を後年撮らせるために、線路を引いたのでは
ないかとさえ、思うほどの場所です。でもC62ニセコ通過時には
とにかくよく雲が出て、羊蹄山を遮ったものでした、何人のファンが
泣いたことか...。

>末吉様
 「写真詩集 急行ていね」95年に買ってもっております。
素晴らしい構成の、異色の写真集ですね、うらやましい限りです。

>館長様
 C62ダイヤ作成ありがとうございます。
「C623」ナンバープレートは私の書斎の机の真中にドッカリ
と鎮座しております。

>三面怪人様
 秋の山線はいつ行く予定ですか、私は10月22日前後を
考えております。


個人的な事ですが
 投稿日 2000年7月10日(月)13時43分 投稿者 末吉 哲 [nycc1-88.nyc.fcc.net] 削除

一年程このサイトを見させて頂いてますが、999からC62が好きに
なった人達と、それ以外の理由の人達とは少々違いがあるようですね。
私の「ていね」の写真は、後から見つかった数枚を除いて
既に写真集となって出ていますが、もう数年も経ち、知らない方も
増えたようですね。自費出版で1200部程出たのですが。
現在書店には置いてありません。希望の方には送料込みで2200円
で発送します。但し私が帰国する13日の朝の七時(日本時間で13日
夕方八時)頃までにEメールで連絡を下さい。 tetsu@webspan.net
当時の映画フィルムは小学館の「日本の蒸気機関車」の中で12分間
収録されています。撮影したフイルムは16mmで約70分。ビデオ時に
残っていたフィルムが約35分。自分なりに再編集したいのですが、
時間も資金も現在の所ありません。本もビデオもC62の運行記録です。
999から入った人にはしんどいかも。
C62に対する私の思いは全て本にあると言って良いでしょう。
後4日で帰国ですが、残念ながら「ていね」の音をCDに入れる時間は
ないようです。御殿場線と山陽線のD52の運転室からの音と、
後から見つかった「ていね」の数枚の写真、アメリカに来る迄のベタ焼きは
持参するつもりです。私の話に興味のある方はEメール下さい。
日本で会いましょう。


95年11月3日
 投稿日 2000年7月10日(月)01時56分 投稿者 だい [tckw8ds33.tk1.mesh.ad.jp] 削除

皆様意外と近くにいらしゃった様ですね。
私の当日は危険でない限りは追っかけようということになり
まず、小樽発車直後のS字カーブ、その後フルーツライン経由で国道へ、
小沢の発車とワイス踏切、北4線は避けてニセコ駅構内でお出迎え。
上りは比羅夫通過と倶知安発車のあとは小樽運転区へ・・・
確か小樽は涙雨であったと思います。
知った顔の機関士さんでキャブへ上げて貰いました。
館長様携帯ダイヤの作成ご苦労様でした。
有難う御座いました。
コピーでもいいよっ!って方いらっしゃれば送料分で差し上げますが・・・
では。


1995年11月3日
 投稿日 2000年7月10日(月)01時17分 投稿者 三面怪人 [tkyo5337.ppp.infoweb.ne.jp] 削除

さっそく9262レ9263レの運転時刻表拝見しました。

泣きました。
あの日、私も北四線にいました。
お立ち台の踏み切りの手前からサイドで流し気味に最後の走行シーンを連写しました。
最後のコマは踏み切りの人垣の横を走り去るC623号機でした。

>末吉 哲様
すぐおとなりにいらしゃったようですね。
ぜひ105レの写真拝見させていただきたいです。
当時のお話もいろいろお聞かせください。
やはりマシがついているのは優等列車の証ですね。

>すわろーえんじゃる様
私も日暮里かいわいには出没しておりました。
母や祖母につれられて、跨線橋や裏手の諏訪神社から電車をながめていたものです。
常磐線のC62はさすが見てないと思いますが、成田から来るC57はよく見ました。
私の蒸機写真の第1号は尾久で写したC57でした。

C62重連を見られた方はほんとにうらやましいです。
中学生には北海道はあまりにも遠く、雑誌記事を穴のあくようにながめたものでした。


毎度ご来館ありがとうございます。
 投稿日 2000年7月10日(月)00時14分 投稿者 ひろし館長 [ksgm61p52.ngy.1st.ne.jp] 削除

みなさん こんばんは

だいさんから提供された、C623ニセコ号運転計画ダイヤ表が完成しました。
特別企画展示室の「C623ニセコ 運転計画ダイヤ表」にあります。
http://www.ngy1.1st.ne.jp/~hirokun/C62/tokubetu-room/C623niseko/
なるべく本物のダイヤ表の雰囲気を壊さずに作ってみました。(^^)
資料提供のだいさん、ありがとうございました。


末吉 哲さん こんばんは
蒸気機関車の走る音というのは、「銀河鉄道999」の影響はかなりあると
思います。私も基本は999でしたので。
今でこそ、日本全国で蒸気機関車が復活し走るシーンも見られるように
なりましたが、小学生の頃は蒸気機関車は999号が走る音が基本だったんですよ。
特に出発時の音は。
でも、蒸気機関車のビデオとか持っていない人は、音だけでは、どんな音か
何をしている音なのかはわからないでしょうね。私もわからないと思います。
C62とD51は区別が付かないでしょうね(^^ゞ
スワローエンジェルの写真ありがとうございました。
ページを作る際に使用させていただきます。


すわろーえんじぇる さん こんばんは
小学生の頃に見たC62が衝撃なというと大げさかも知れないけど
忘れられない印象として残ったんですね。本物と言う部分が良いですよね。
私は999号でしたから(笑)



MANATY さん こんばんは
そうですかぁ、梅小路に行くんですか・・・
嵐さんも始めていったんですが、カメラ持って、あちらこちら写真撮りまくっておりました。(笑)
C62がスチーム号として活動している時期に当たれば良いんですがね。
C621とC622をたくさん見てきて下さいね。


ぼおるどういん さん こんばんは&はじめまして
駅員ですか・・・分野は違いますが同じ同業者ですね。よろしくお願いします。
やっぱり、999の影響でしょうか、蒸気機関車というモノはC62という感じで
あの形が私の蒸気機関車の基本形です。今でもそうなんですが(笑)
ですから、山口号に乗りに行ったときも、なんか物足りないイメージでした。(^^ゞ
ボイラー部分の大きさなんでしょうね。あの迫力ある大きさは・・・
C622も本線走行は無理のようですが、ちょっと手入れすれば走れそうな気がします。
ダメかなぁ。

そうそう、HPはリンク完了しました。


NORTH DRAFT さん こんばんは&はじめまして
あっ、ナンバープレート競り落とした本人ですか(^^ゞ
部屋とかに飾っていますか?
こういうナンバープレートって、販売されるモノなんでしょうかね?
博物館とかでプレートが展示してあるのはよく見かけるんですが
後の残りのプレートは何処へ行ってしまったんだろうと思ってしまいます。


それでは、またのご来館をお待ちしております。


北四線
 投稿日 2000年7月8日(土)13時47分 投稿者 すわろーえんじぇる [sk01.senko.co.jp] 削除

ついには3号機のプレートを落札された方まで・・・
夢とは思いつつも、山線でシロクニのドラフトをもう一度聞きたいものです。

>末吉 哲さん
もう少し早く生まれていたら・・・本当に鉄に関してはつくづくそう思います。
有名な踏み切りというのは「北四線踏切」でしょうね。
わたしも現場へは行っていませんが、有名なポイントでここで撮影の作品はよく見かけました。

末吉さんの作品をぜひ拝見したいところですが、東京ではちと無理そうです。
「ていね」の頃の写真・・・残念です。

>館長さん
私もお役に立てるものと思って探したのですが、資料となりそうな文献、雑誌等は
引越のたびにどこかへ行ってしまいもうほとんどありませんでした。
実家にあるのかも知れませんが。
写真もC62のもあるはずですので、今一度探してみます。



はじめまして)^o^(

 投稿日 2000年7月7日(金)10時54分 投稿者 NORTH DRAFT [cs25643.ppp.infoweb.ne.jp] 削除

 はじめまして。NORTH DRAFTと申します。
こんなC62専門の掲示板があるのは知りませんでした^_^;
これから仲間に入れて下さい。

私もC62は大大大好きで、特にC623には軒並みならぬ愛着を
持っております。(以前掲示板でも話題になっていたyahooオークション
のC623ナンバープレートを落札したのは私です。)

>三面怪人さん
こちらで頑張っておられたのですか、CDは、さぞやキングレコードも驚いて
いる事でしょうね、もう絶版間近では?

それでは、館長様、みなさま、今後ともよろしくお願いします。



何でしょね?

 投稿日 2000年7月5日(水)13時45分 投稿者 末吉 哲 [nycc1-189.nyc.fcc.net] 削除

2日程前、「ていね」の写真送ったのは着いたでしょうか。コンピューターは1982年頃から
使ってますが、Eメールの方は、まだ使用度が低く、何かを送る時には気になります。
すわろーえんじぇる さんのメールですと10歳近く違うようですね。
昔、雑誌の写真を見る度にもう少し早く生まれていたら、とか思ったこと何回かありますが、
これは誰しも同じなのでしょうね。色々な事がありましたが、鉄道に関してはラッキーだったと
いえるでしょう。C59とC62ですが、やはり、ギリギリの線で作られた無駄の無い完成された
美しさがC62にはあると思います。C59にしてもC57にしても運転台前部の角を落としているのは
好きにはなれません。スピード感とか夜間での窓への内側からの反射とかの事はあるかも
しれませんが。
「ニセコ」最後の日に、有名な踏み切り(羊蹄山が正面に見える所です。地名はしりません。
)に連れていかれ、築堤の上を走り去るC62を見る事ができました。その時の感想は、C62ってのは
こんなに可憐だったかしら、でした。あの太く感じていたメイン・ロッドも細く見え、こんなので、
という感じでした。アメリカのごっつい蒸気機関車を見過ぎたのかもしれません。
とにかく綺麗だな、という感想でした。その日は下りの最終便を見、札幌駅ではたまたま回送で
苗穂に向かっていく列車を見送りました。最後の本線運用だったかと思います。
七月十九日から二十五日頃まで東京にいます。会って頂ける方がいましたらEメール
下さい。メール・アドレスを載せてもいいのかどうか。私は気にしませんので。
tetsu@webspan.net


はじめまして
 投稿日 2000年7月4日(火)02時11分 投稿者 ぼおるどういん [otw3-212.biwa.ne.jp] 削除

お初にお目に掛かります。嵐三太勇さんにこのページを紹介してもらって
やって来ました。(^^
滋賀で駅員稼業のかたわら細々と模型を作って(笑)おります。

私自身シロクニは大好きなカマのひとつで、2号機が梅小路で動いていた事も
あってとても身近な存在です。
何と言ってもスタイルが整っているのがいいですね。
(全体のバランスの良さ、という点では「ヘビーパシ」C59に一歩譲りますが)
やはりボイラーの太さが見る者を圧倒します。
まさに幹線の特急牽引機という風格。たまりまへんなぁ〜(笑)
出来る事なら、2号機にはもう一度本線をぶっ飛ばして欲しいものですが・・・
叶わぬ夢でしょうか・・・(−−;

また近いうちにお邪魔しますね〜
ではまた。(^−^)/~~~


PS:お暇が有ればウチのページにもお越し下さい。
「戸棚鉄道管理局」
http://www.biwa.ne.jp/~borldwin/todana.top.htm

それから、相互リンク希望!です。
よろしくお願いします。m(__)m


C621のレス 大変有り難うございました。
 投稿日 2000年7月4日(火)00時42分 投稿者 MANATY [a034086.ap.plala.or.jp] 削除

jsasakiさん、遅くなりましたがレス大変有り難うございました。
ひろし館長さん、わたしは8月に地元の東京からムーンライトながらを利用して(貧乏人なので青春18キップです)大阪に行き
復活「はと」号を撮影した後に梅小路に行く予定です。

関西には修学旅行以来の二度目で、当然に梅小路は初めてですし
動態保存されている蒸気を見るのは奥利根号以来、二度目で有り
まとまって見れるのは、初めてなので今から大変に興奮しています。


「ていね」に想う
 投稿日 2000年7月3日(月)14時19分 投稿者 すわろーえんじぇる [sk01.senko.co.jp] 削除

館長さん、どうもありがとうございます。
こんなページ・・・なんてとんでもない。私はこういうHPを探しておりました。

「特別の存在」なんてカキコしましたが、いわば私の思い込みに過ぎないことでも
あります。
こういった趣旨のページですので、なんら不思議なことはないのでしょうけれど、
☆末吉 哲さんがいきなり「ていね」と書き込まれたのでびっくりしました。
なんとタイムリーな・・・驚きとそして喜びで一瞬胸が熱くなりました。

もちろんそれまでに何度かは蒸機の牽引した列車にも乗ったでしょうし、日暮里駅
あたりを走る蒸機(おそらくC57かC62だと思うのですが)が記憶の中には
うっすらありますが、ハッキリと鉄道と蒸機を意識したのはこの「ていね」との
出会いが始まりでした。
S42年の晩秋のことです。

その後の4年間はまったくシロクニに夢中のガキとなりました。
ただし、当時は東京在住の小学生でしたので、C62に会えるのは年に一度がせいぜい
でした。
ご存じのように後年、C62重連が牽くこの列車は、いわゆる「よん・さん・とお」で
急行「ニセコ」に名称を変え、S46年秋にはC62もその任務をDD51に譲り現役を
退きましたね。
当時、私中学1年。
出会ってからわずか4年足らずでしたが、子供ながらに小遣い貯めてはひとりで
C62に会いに行っていたガキは、その時思わず涙しました。

私事をつらつら書きまして、みなさん申し訳ありませんでした。
この上もし、ムリを言えるのならば・・・
末吉 哲さんご所蔵の「ていね」の写真はぜひ拝見したいです。
急行とはいえ食堂車を従えたこの列車は、当時80系「北海」とともに山線の花形列車
だったと思います。
さすがに私も「ていね」は撮っておりませんでした。
では。


C62の走行音
 投稿日 2000年7月3日(月)12時35分 投稿者 末吉 哲 [nycc1-242.nyc.fcc.net] 削除

昨日5年ぶりに30年前の「ていね」の走行音を聞きました。この中で小樽から
余市迄の音があったのですが、改めて聞いてみて、どの程度の人が興味を示すのか
少々疑問に思ってきました。以前、CDにして出したいと書き込み、今もその気持ちには
変わり無いのですが。
多くの人、特に蒸気機関車の普通走行音を知らない人にはシュッシュッポッポだと
思うのですが、登りでの均衡速度程度で走っているので無い限り、シュッシュッは出発時
のみと言えるでしょう。しかも長時間停車して、シリンダーが冷えている時が最高なのですが。
マイクは運転台の内部と火室の横に取り付けていたのですが、速度があがると運転の実情を
知らなければもう何の音か判らないでしょう。確かに前後の機関車の汽笛も時々入って
きますし、ジョイントの音も入っています。しかし蒸気機関車の走行音というものを
誤解している人が多いと思います。
おもしろい事に気がつきました。例えばモデル・レールロードで音を流す事ですが、
ドラフトの音は結構早いんですね。何も考えずにこの音にモデルのスーピードを
合わせたら、大変なスピードになってしまいます。実物が時速60kmですと、
Nゲージでは、1秒に10cmちょっとですか。ドラフトの音は左右のシリンダー
からの合成の音ですからボッボッといっても片側からみれば1行程いってない訳で。
どちらにしても機関車は大変な雑音を常時出していまして。
この辺の事も、帰国時に何方かと相談してみたいですね。
とりあえず、D52とC62の音を持参する予定です。
判らなくなります。



毎度ご来館ありがとうございます。

 投稿日 2000年7月3日(月)00時46分 投稿者 ひろし館長 [ksgm61p73.ngy.1st.ne.jp] 削除

みなさん こんばんは
今日の名古屋は最高気温が34度までいったそうです。
梅雨の中休みなのに真夏日ですわ、酷暑かな?


MANATYさん こんばんは
jsasakiさんもレスをしておりますが、建物の中にC621は入ってしまって
おりますので、全体を撮るのは難しいです。
ですが、資料として部分的な撮影でしたら出来ると思います。
まぁ、一度は行ってみると良いと思いますよ。


すわろーえんじぇる さん こんばんは&はじめまして
こんなページですいません(^^ゞ
蒸気機関車全般を扱うサイトはいくらでもありますので、ここはやっぱり
車種限定しかも999のモデルとなったC62に絞ってページ造りをしようと
思いまして、現在に至っております。
ただ、私自身も資料とかが無くて、みなさんにC62の写真をお裾分けしてもらい
ページ充実に励んでいる最中です。
おかげさまで、多数の資料写真を頂きました。
C62は、すわろーえんじぇる さんの特別な存在ということで
その辺お話なんかも聞かせていただけると嬉しいですね。
私は、TOPページにも書いてありますが、999号のモデルとなった
蒸気機関車がC62だったので好きなった経緯があります。
でも、そんなに詳しくはないんですよ。教えてもらっているのが多いです。
これが、D51とかだったら、これまた違っていたかも知れません(笑)



jsasaki さん こんばんは
キングレコードのC62のCDは見たことあるかも知れない・・・
え〜と、記憶が確かならば、黒っぽいジャケットじゃありませんでしたか?
違うかな?
在庫が少ないんですか・・・どうしようかなぁ。
こう言うのは、ちゃんとしたオーディオで聞くと迫力満点でしょうね。
最近はパソコンでCDを聞く人が多いですからね。
今度、聞かして下さいね。(もう、こればっかし・・・)


末吉 哲 さん こんばんは
帰国されるんですね。でも私は同時期、海外へ旅行に行ってます。(^^ゞ
なかなか、時期が合いません。
末吉さんの膨大な写真も貴重な当時の写真ばかりで興味があるんですが
残念です。ん〜、どうにかならないものですかね。
面白い写真があると言うことですが楽しみです。(^^)

スワローエンゼルは私も大好きな機関車でして、ツバメのマークが
ポイントですよね。ですから、ツバメのマークだけの撮影も
私はよくやります。光に反射したツバメのマークなんかはカッコイイですよね。
まぁ、デジタルカメラでの撮影なんですけどね。


嵐三太勇 さん こんばんは
手に入りましたか。なかなかいいでしょ?>鉄道ファン400号

掲載当時は、申し訳ないんですがC62が好きだったとはいえ
C62を調べだしたのは、ここ2年前からでして、北海道のニセコも
知らなかったんですよ。ニュースでは流れていたと思うんですが
記憶にないんです。
ここ最近の蒸気機関車復活は予算面で何が違うんでしょうね。
C623も保存状態は良いと思うんですが・・・車籍も残っていることだし。
また、再び走って欲しいよなぁ。もう、復活するんでしたら何処でも行きますよ。(笑)


だいさん こんばんは
情報ありがとうございます。早速追加しておきます。
ダイヤ表ですが、やっと上り線が完成しました。下り線が完成したら
公開しようと思っています。
画像で公開はちょっとしんどいと思いまして、テキストで書き出しております。
ダイヤ表の雰囲気を壊さないように作るのは難しいですね。


三面怪人 さん こんばんは
20000アクセスの祝辞 ありがとうございます。
これもみなさんのおかげだと思っております。

こうやってC62の写真の提供を呼びかけると、当時の貴重な写真を
持っている方がたくさんいることが判明しました。
今現在、C621で広島の鉄道学園に保存されていた当時の写真提供申し出の
メールも頂きました。
これからも、資料という位置づけでC62の写真を掲載していきたいと思います。


それでは、またのご来館をお待ちしております。


20000アクセスおめでとうございます
 投稿日 2000年7月2日(日)23時55分 投稿者 三面怪人 [tkyo5724.ppp.infoweb.ne.jp] 削除

ごぶさたしておりました。
久しぶりに拝見したら、カウンター20050、ミニ切り番(?)でした。
キングのCD、私も注文してしまいました。
知り合いですでに注文したひと3名。
急に注文が入りだして驚いているのではないかなあ。

皆様からのC62の写真、楽しみにしております。


撮影日&撮影場所
 投稿日 2000年7月2日(日)22時47分 投稿者 だい [tckw8ds10.tk1.mesh.ad.jp] 削除

お問合せの撮影日等ですが
機関士のアップが95年10月初旬の走行時ニセコ駅で転車台に向かう途中で
声を掛けたら目線を合わせてくれた時の一枚です。その次にお会いしたときに
差し上げたところ、件のダイヤ表を頂けたと言うストーリーです。

2枚目の踏切画像は、小樽へ向けての名撮影地「金太郎山」へさしかかる手前の
忍路(おしょろ)踏切です。10月10日の撮影です。
このあたりから力行して次の停車駅の塩谷へ駆込みます


手に入ったよぉ!
 投稿日 2000年7月1日(土)22時38分 投稿者 嵐三太勇 [d2ec16-176.tiki.ne.jp] 削除

あの!鉄道ファン400号(C62特集)、手に入りました。
勿論、ネットオークションで…
競争率が意外と少なかったのか、すんなりと手に…^^;。

そういえば、掲載当時はC62ニセコ号の休止で揺れていた頃でしたね。
いつも満席なのに赤字が増える、スポンサーの支援が足りない、で
困り果てていた状態だったそうですね。
(このことを知ったのも休止から2年経ってでした、自分は。)

そう言えば、あのゲームメーカーの「ハドソン」の創設者である
社長兄弟も出資者の代表だったのです。
彼らの夢でもあったんですよ。復活事業は…。
(社名の通り、あの方達もC62を追っかけていた世代なのです。
ライブスティームもお庭で走らせているくらいだし。)

C62は是非、かつての山陽線長距離特急の拠点、
下関で復活して欲しいなぁ!!
爆音とも言うべきC62の迫力あるドラフト音を、本州で響かせて貰いたいものです。

http://ww5.tiki.ne.jp/~bishanohana/kifujin.htm



特に何も

 投稿日 2000年7月1日(土)12時41分 投稿者 末吉 哲 [nycc1-28.nyc.fcc.net] 削除

七月の中旬に法事のため、又一時帰国します。このコーナーも大変に賑やかになってきましたね。
1枚面白い写真が出てきたので、この2,3日中に送れたら送ります。
C62の重連でツバメ・マークだけを狙った写真のようにも見え、人によっては面白くないと思う人が
多いと感じますが、私の好きな一枚です。どのフォーマットでしょうか。TIFFではいっていますが。
東京近辺で何方かと又お会いできるとよろしいのですが。
七月の十九日から1週間程滞在する予定です。終わっていればCDも持参します。但し今回は
D52だけだと思いますが、未発表の「ていね」の写真も持っていくつもりです。
全てCDですけれど。

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