戻る
Steam Locomotive C62 Museum 掲示板 過去ログ 2000年4月分 追分とSL 投稿日 2000年4月27日(木)20時54分 投稿者 s26 [pc2.manga-to-unet.ocn.ne.jp] 削除
ビデオでD51241の炎上シーンを見ましたが、泣けてきました。 形が残ってもパット等が焼けて、後々の動態復元の時、影響が出ると言う事で D51320になったようです。同所にD51241のナンバーと、煙室扉が残されています。 追分開基100年記念の年、岩見沢〜追分間にC623を走らせようと、当時の 追分運転所長が沿線町村を回っていました。
> 状態が良いと言えば、追分の「D51−320」。 >何せ動きますから。 >アントに押されている時にキャブにいると、運転 >しているような感じです(レ−ル短いですが)。 > 動態に整備する場合、この機関車はテンダを新 >成しなくて済むという話を聞きました。タイヤの >厚みも有るし。 このD51−320号機って、北海道追分町(胆振支 庁管内)の追分町鉄道資料館に静態保存されている カマですよね。確か、かつての追分機関区の跡地と いうことになりますか。 このD51−320号機が見学できるのは、同資料館 の毎月2回の開館日(毎月第2金曜日・第4金曜日 の午後)というわけですが、開館日当日には、かつ ての追分機関区のOBの方々によって結成された保 存協力会によって念入りに清掃・整備・点検が行わ てから、入換用の小型アントによって屋外に引き出 されるというようなことが、「全国保存鉄道」シリ ーズ(JTBキャンブックス刊)などに書いてあり ました。 まあ、本来は、最後のD51形による本線の貨物列 車の最終列車を牽引した241号機なども、旧追分機関 区の扇形車庫(機関庫)とともに保存されることに なっていたものの、扇形車庫の火災によって、241号 機などは扇形車庫とともに焼失してしまい、同機関 区構内の別の車庫に保管されていた320号機だけが、 難を逃れたというのは、よく知られていますね。 C62−3号機の復活が無理ならば、函館本線の山 線区間での復活SLは、C11形よりもD51−320号機 にすべきだ(だった)と思います。この320号機は、 現役時代には、C62形が所属していた小樽築港機関 区に配属されて、山線区間で運転されていた時期も ありましたからね。
間が開いてしまいましたが、D51について一言。 状態が良いと言えば、追分の「D51320」でしょう。 何せ動きますから。 アントに押されている時にキャブにいると、運転しているような感じです。 (レ−ル短いですが) 動態に整備する場合、この機関車はテンダを新成しなくて済むという話を 聞きました。 タイヤの厚みも有るし。 C622の調子の話は「こちら」で。
>笹川流れのデゴイチ様、ありがとうございます。 私は今年、大学受験なので夏休み頃は「爆勉」せざる得ない状況になっていると 思います。部の全国大会出場が決定しており、夏は富士宮へ行くのですが、 (ちなみに滋賀県大津市在住)それも日程を考えつつでないとだめですので。 ただ、その帰りにでもムーンライト越後をつかうなりして、なんとか都合をつけ られるかもしれませんので、もし日をあわせていただけるならこちらの計画が 定まり次第ご連絡致します。
●本多邦康さんへ >> 春休み期間中? 私はもう社会人ですし、教員で >>もないんですが・・・・・。 これは、どうも、失礼いたしました。しばらくの間、 この掲示板にお越しでなかったので、どうしてかなあと 思って書いてしまったんですよ。そうですか。仕事の合 間の休日などに暇を見つけては、各地に保存されている D51などの蒸気機関車を見に行っておられたのですね。 それから、動態機の復元に保存機の部品を使うという ことについての説明とか、クセのある機関車(カマ)の ことなどについて、いろいろと説明して(教えて)下さ いまして、ありがとうございます。今度、富山市中川原 にある「ブックス中田中川原店」には、鉄道関係の本と か鉄道雑誌のバックナンバーなどが数多く販売されてい ますが、『鉄道ファン』の「機関車D51」の特集が掲載 されている号も置いてあったので、ご指摘のあった本と ともに、そちらも買うことにします。 今回は忙しかったために、大阪に行く暇がなかったそ うですが、今度、大阪に行かれた時には、市内の図書館 で、ぜひ、例の『新日本紀行』の「三重連の峠/秋田・ 青森県境・矢立峠」のビデオを借りてみては、いかがで しょうか。その時には、ぜひ、ご感想などを教えて下さ いませんでしょうか。よろしくお願いいたします。 それから、近いうちに、矢立峠と大釈迦峠の旧線跡の 訪問の時のことを、メールでご報告しますので、そちら の方も、楽しみにお待ち下さいませ。 ●「たぬき」さんへ 先日、大宮工場で製造されたD51(187号機とか512号 機)の話が出ましたが、現在、東京都板橋区内の城北交 通公園に静態保存されている513号機の大宮工場での製造 番号は、26番となっていました(512号の次に製造された わけですから当然ですが)。それと、酒田機関区で廃車 となったのは、イカロス出版の『機関車D51』の巻末の 「D51形全1115両の経歴リスト」&「同・廃車年月日リ スト」によると、1972年(昭和47年)6月となっていま した(512号の廃車は、同年の10月30日です)。 実は、今年の夏(お盆の頃)には、羽越本線の旧線跡 (主に五十川−小波渡間など)の訪問の旅に行きたいと 思っていますが、その際には、新発田市の東公園ニ静態 保存されているD51−512号機の現在の保存状況を確認 しに行きたいとも思っていますし、新津市の鉄道資料館 も見物しようかなと思っていますが、もしも、よろしけ れば、現地(新発田市か新津市)で合流して、今回の旅 に同行して下さいませんでしょうか。僕と一緒ならば、 東公園の位置も分かるかもしれませんのでね。別に都合 が悪くないというのであれば、「たぬき」さんからのご 返事のメールを、心からお待ちしています。
いつもは「Steam Locomotive C62 Museum」へご来館いただきありがとうございます。 当館の設置目的は、松本零士氏の作品「銀河鉄道999」のモデル機関車C62をもっと 知ってもらおうと設置した博物館です。 当館は蒸気機関車C62を主に扱う専門のHPなんですが、C62を盛り上げるには、 他の蒸気機関車の話題も避けられないと思っております。 ですが、最初は他の蒸気機関車の話題もOKだったんですが、当館の運営方針と 違った方向へ進んでいるような感じの掲示板になっておりますので、掲示板の 運用を変更します。 こちらの掲示板は蒸気機関車一般のフリー掲示板に運用を変更します。 C62に関する話題や書き込みはC62専門の掲示板を新規に設置しました。 「Steam Locomotive C62 掲示板」 http://cgi.ngy1.1st.ne.jp/~hirokun/C62/C62bbs2.cgi 今後、C62に関する話題や書き込みはこちらの掲示板へ書き込んで下さい。(^^) 話の展開上、どうしても話題の切り換えが出来なかった場合は、気にしないで そのままC62の話も書いて下さいね。 それでは、今まで通り蒸気機関車談義に盛り上がって下さい(^^)/
本多邦康さま、はじめまして。 一昨年出張で滋賀県に行った際にD51499やC50154,甲西駅のD51409、そして手原 稲荷公園のD51403と、におの浜のC57128を見てきました。 さて、D511149も見てみたかったのですが、同機の所在地が本には”滋賀県犬上郡多賀町敏満寺35 多賀ハイウエイパ-ク・レストラン”とありましたが、どこにあるのか判りませんでした。 宜しければ最寄駅や行き方をご教示頂けませんでしょうか? ”名神高速か、どこかじゃないの?”と観光案内所のおばさんに言われましたが、 判りませんでした。ハイウエイパ-ク・レストランとのことで公園のような所なのでしょうか? ”日本の蒸気機関車”という本には雑草のなかに放置されている姿が載っていましたが。 現存のD51保存機では最後の番号のものですし、ぜひ見たいのです。 どうぞよろしくお願いします。 におの浜のC57128は本当に状態がよかったですね。 D51403も程度が良くロッドも油がひかれていて、復活機に指定されても不思議 じゃない位でした。だが、見に行ったとき若い男女の炭水車の上でイチャイチャ していたのは戴けなかったなあ。
またもや現われました、たぬきです。 >吹田の本多さんへ お返事いただきまして有難うございます。499号機は1115両のD51の中で 最高の車両だと思っているので、ボロボロなのは哀しいことです。自治体が保存した カマで、特に公園に設置されたりした車はその後手入れがされていないことが多く、 結局は取り壊されたりしている姿を見ると、はじめから廃車解体し、ナンバープレート などだけを卑劣な窃盗犯の餌食になる前に保存したほうが良かったとさえ思えてきます。 津だとそれほどは遠くないので、行ったついでに見てきます。(いつになるのやら・・) 403号、409号とも結構近くにいたのですね。私は大津市在住なので手原・甲西は 何回もとおったりしているのに・・・。1149号ですが、公共交通機関では行きにくそう なので、見ていません。多賀SLパークでしたね。とっくに廃業してしまいましたが・・・ 確か数年前に機関車は大整備を行なって、リニューアルしたはずです。鉄道ファンか 何かにニュースが載っていたような・・・20系客車たちはどうしたのでしょうか。 C57128号機の整備、ありがとうございます。大津市にある唯一の蒸機であり、 美しく保たれている姿を目にすると、気持ちがいいものですから。 C622ですけど、やはり老朽化が原因なのでしょうか。1970年ごろといえば 製造から20年以上が経過しており、高速機であるがゆえに痛みも早かったのでしょう。 ただ、2号機と3号機は同時に渡道していますが、後に関係者の間では3号と32号機の 評判が高かったのと比べ2号機のがガタ落ちして行ったのは個体差なのでしょう。 そう考えると、梅小路で時々しか動かない2号機の本線復活は、そうとう厳しいと 言わざるえないのが残念です。まあ、状態が良くともカネがかかり、運用線区が限られる 大型機の本線復活は行なわれないことでしょうが。
どうも本多です。ご返事させていただきます。 たぬき様へ >D51499は野外放置に近い状態 そうですね。そういう感じです。三重県津市偕楽公園です。 ボイラーやシリンダー下の腐食がひどく、運転席が子供たち にかなりひどくあらされていました。といっても私が行ったのは 三重大受験(落ちた)の時だから…、何年前だ。9年前かな?情報 が古いです。でも良くはならないでしょう。鉄道ファン今月号 (2000年5月)にある59647の最初みたいな感じだったです。 私は小・中学校の頃、近畿圏内の保存機をみてまわっており 状態の悪いワースト1は生野小学校のC5793(現存せず)だと 思いましたが、それに結構近いです。130台ぐらいみたのかな? その頃保存機の場所のいい本がなくて苦労しました。いくつか の本を照らし合わせてさがしてました。「カッコいいやつ」昭和54 年発行を1番信頼してました。今は「全国保存鉄道U」JTBがあるから 便利ですね。403は手原の稲荷公園、409はJR甲西駅前です。私が 409を見た時は加賀ファミリーランドにあり、休みの日なのにタクシ の運転手さんにランド中さがしてもらい、山の上に発見して 大急ぎで急斜面を登ったのがなつかしいです。今は駅前にある そうですが、よく運ぶ予算が出たものです。D511149は状態が悪くて 悲しかったなあ…。どのかまもなつかしいです。 C57128は梅小路・宮原機関区OBの大津SL愛好会が面倒みてます。 私も2回参加してロッド磨きしました。(とれいん'96年7月号に詳細) >C622は北海道では調子が悪い。 そうですね。まさにそう書かれてますね。宮原時代はつばめ機ですから 状態が良いのにきまっています。老朽化で癖がかわったのじゃないでしょうか? 私も理由がしりたいですねえ。SL No.9ではゆうづる時代のC62は老朽化で 手がかかるとなってますから北海道のC62は昭和45年頃かなりくたびれていた のじゃないでしょうか。詳しいかたご教示を。 C6217はとれいん'75年11月号に改造の詳細があります。鉄道ファン'70年1月号 と'89年12月号にスピード記録樹立時の詳細があります。 嵐三太勇様へ どうもです。一度掲示板へお邪魔しようと思っていたのですが…. そのCM知らないです。へーみてみたいなーです。 C57148ですが、撮影状況は最悪です。中に入れてもかなり広角レンズでないと…。 はいれないとガラスの中ですから…。ナンバープレートや動輪なんかごろごろ していてある意味交通科学館よりおすすめなんですが…。撮影は技術がいります。 また徒歩10分以上かかったと思うので時間に余裕がないとおすすめできません。 でもぜひ見ていただきたいし…。うーんこまったなあ。C57は前に書いたような事情で 1,5,7,11,56,93,110,119,128,135,139,144,148,160,189,201と見てますが,ほとんど 子供の時のハーフカメラでネガも無いですし…。ご協力できそうにないです。 笹川流れのデゴイチ様へ なかなかひまがなくていってないんですよ。 中ノ島からひっこしてから大阪府立いってないんです。大学合格後にいりびたって いたことがあり、「機関車工学」上中下,森彦三,明治43年や「基礎機関車工学」 有原俊二,昭和14年なんかながめていたんですが…。ひまがなー。 >春休み期間中?私はもう社会人ですし、教員でもないんですが…。 前回のに補足しておくと 動態機の復元に保存機の部品を使うというのは、 どちらかといえばJR工場が真鍮・鋳物部品が作れなく なったことと関係があると思います。蒸機の検修というのは 鋳物のもとになる木型がけっこう重要ですが、そのような検修 方法はJR工場にはほとんどのこっていませんし、蒸機部品の木型を 全部保存しているところも現在は皆無ではないかと思います。 数年前までは鷹取にはあったようですが残念ながら…。 くせのある機関車の例として鉄道ジャーナル'93年1月号もしくは 単行本「驀進」斎藤雅男の「鉄道と共に50年」に国鉄をささえた 現場のベテランたちという項目に「あの機関車は左の弁(ピストン弁) にクセがあるうえ…。」とあります。 私はまさに「愛吉」になりたかった人なんです。 状態のよい機が同じ機関区に、悪い機がたらいまわしには、いろいろ エピソードがあるので、またの機会に例をあげて書きますね。 それでは館長様(ながながすみません)、皆様、失礼致します。
●本多邦康さんへ 吹田の本多さん、お久しぶりです。富山の「笹川 流れのデゴイチ」です。 さて、前に、「栄光の機関車D51」の本のことが 話題になった時に、例の『新日本紀行』の「三重連 の峠/秋田・青森県境〜矢立峠」のビデオのことを 書きましたが、本多さんは、春休み期間中、大阪市 内の図書館(府立図書館か大阪市中央図書館)に行 ってこられましたか。そして、例のビデオを見つけ ることができましたか。もしも、そのビデオを見つ けることができて、ご覧になったならば、ぜひ、ご 感想を教えて下さいませんでしょうか。よろしくお 願いいたします(どのシーンが印象に残ったのかな どを教えて下さると、ありがたく思いますが)。 ●「たぬき」さんへ > さて、肝心の512号機ですが、187号と同様に鉄 >道省大宮工場製のカマで、製造は1940(昭和15) >年、製番は25番です。大宮では翌年の517号機、 >製番30を最後にD51の製造は終了しています。 D51−512号機の製造番号は25番というわけです ね。教えて下さいまして、ありがとうございます。 実は、512号機が新津機関区に新製配備されたの は、1940年(昭和15年)11月ですが、その翌月で ある同年12月には、512号機と同様に大宮工場で新 製されたD51−513号機も、新津機関区に新製配備 されています。この512号機と513号機は、製造さ れた工場も新製配備された機関区も同じの兄弟機と いうことになりますね。 ただ、513号機は、512号機とは違って、2〜3 回ほど(?)、配属機関区替えがあり、1972年(昭 和47年)7月に廃車になった時点では、酒田機関区 配属となっていました(1970年頃に酒田機関区配属 になった可能性もありますね)。 現在、513号機は、東京都板橋区内にある城北交 通公園に静態保存されています。
田中麗奈っちゃんがでている某オレンジジュースのCFの舞台に、 デゴイチが走っているのを… 雑誌で見たのですが、D51129(だったっけ?)がある 大正時代の駅のホームと言う設定だそうです。 この号数を選んだ意図は何でしようか? しかし、デゴイチって大正時代の汽車じゃないのでは? >本多様 お久しぶりです。 今度関西へ行くついでに共永興業のC57148を見ようと思っていたのですが、 休日はガラス越ししか見られないんですか。 写真は撮りやすい位置に置いてあるのでしょうか? (一寸確認しようと思いまして、尋ねてみました) 是非、本命として自分の「資料室」に飾ろうと思っていたので…。 PRとなりますが、 是非貴方のお家の近くに「貴婦人」が置かれている方、 写真の提供お待ちしています。 私の営業所にお飾りいたしますのでお問い合わせいただけましたら幸いです。 5/3からは下関海峡祭りが催されます。 祭りの後は是非、C57 1にも触れて下さいませm(_ _)m 私はデゴイチと言ったら、人吉の矢岳にある170号機でしょう!! 写真でしかみてはいませんが、状態の良さは誰が見ても一目瞭然ですよね! 私は若輩者ながら パシフィックスタイルと、カメ(クンロク)が大好きなのです。 http://ww5.tiki.ne.jp/~bishanohana
>本多さんへ はじめまして、たぬきです。 う〜〜〜ん、D51499そんなに酷いのですか。保存されているのは知ってた ものの、どこにあるか判りません。もしかして野外放置に近い状態までイッちゃって るのでしょうか。住んでる滋賀県内にもD51は4両あるのですが、403号と 409号はどこにいるのやら。C57保存機といえば、大津市立科学館が前にあった 所に保存されている128号もおすすめです。屋根に覆われフェンスに囲まれている ので撮影には適しませんが、ボランティアの方々が相当手入れされており、かなり 美しい状態が保たれています。まあ148号には負けますが。 C62は1、2、26は見学しました。構内運転専用になった感のある2号機でも やはり煙を出してドレーンを切りながら走る姿は、静態保存機では味わえない迫力 ですね。結局C62ニセコには乗れずじまいだったので・・・。平区10号機の 特急牽引の写真は一度も見たことがありません。相当調子の悪いカマだったのでしょう か。46.47号機もあまり記録されていないのではないでしょうか。前述の 2号機ですけど、宮原時代は29号に次いで調子の良いカマと評判だったのが、 小樽築港の時代には「調子が悪い」に転落したのはなぜなのでしょう。少なくとも 小樽築港機関区もと乗務員の方々はそのような回想を綴られておられます。 そのため、運用距離の短い小樽-長万部間の前補機運用に優先的に用いられたそう です。 C6217やD51499の更なる情報、待っています。
どうもお邪魔致します。吹田の本多です。 みなさまお元気でしょうか?館長様はあまりよくないのでしょうか? 皆様、春1番のふくこの時期、体調にお気をつけください。 jsasaki様 C57139元気でしたか。祖父母が死んでから今池と縁がなくなり ずいぶん見ていませんが、まだよいほうのようですね。たしか名古屋区OB も様子を見に来るようですので…。さて大阪の共永興業のC57148はピカピカですよ。 日本一の静態保存機です。交通科学博物館のある弁天町から徒歩10分ぐらいで 行けますので一度ご覧ください。(ただし平日しか中にはいれません。祝日は ガラス張りの外からになります。)新大阪駅の動輪C57155と29600も共永から寄付 されたものです。JRには手ごろな動輪がないんですね…。 笹川流れのデゴイチ様(新ネームですね) うーん。一般に調子の悪いかまというのはボイラーの蒸気上がりが 悪いとか。車軸が熱をもちやすいとか。シリンダーや加減弁のもれが 多いとかいうほとんど交換されることの少ない基本部分の癖を言うことが ほとんどです。それに比べて他の保存機の部品を使うというのは付属部品 がほとんどです。運転席の真鍮部品とか空気圧縮機(58654にも静態のC11のが 使われたそうです)とかです。くせのある機関車だから他の機から部品を使う ことが多いわけじゃないんです。といってもJR東で静態機の加減弁を使おうと したことがあるので絶対にちがうというわけでもないですが、一般論としては ちょっとちがうと思います…。すみません文句つけてるわけじゃないんです。 また静態機の部品を使う時、いちを地域的に各JRの管内の保存機の部品を使う ようです。よくは知りませんが…。管轄の違いからでしょうか? 工場製D51の1号はよく保存されています。鷹取のD51211号とか土崎の232号 とか苗穂の237号などです。今でも手に入る物で製造番号がわかる本は 蒸気機関車形式D51 伊藤久巳 イカロス出版というのがあります。 またいつか旧線歩きの話もメールくださいね。知りたいです。 たぬき様 はじめまして、大阪の蒸機マニアのものです。 そうですね。ゆうづるは圧倒的に23号ですね。でも48号や22号も多く引いてる みたいですよ。平のC62では10が最悪で46、47も悪いそうです。ゆうづるに関して 詳しくはSL No.9 交友社 1974年を図書館でご覧ください。 26号はたまたま調子が悪くて廃車になり、その頃ちょうど交通科学館で探していた 保存機にぴったりだったようです。 ただ全国で静態保存が活発になったのはSLブームが過熱した昭和47年以降 なのでC62は不利ですね。昔、日立でC62保存の話があったようですが、予算で だめになったようです。私は汽車会社と最終番号で49号が希望ですね。 それでも5台もあるのですから贅沢なほうですよ。それより栄光の17号の 保存状態が問題です!あと本線動態機がほしいですね。特急つばめ牽引。 うーん夢ですね! えーっとD51499は最悪の保存状態ですよ。お涙頂戴です。本当に残念ですが…。 それでは失礼致します。
えー、たぬきです。 新発田市の512号機ですが、実は今月2日に新発田には行ったのです。 しかし残念なことに、まだこのHPには訪れていなかったので、東公園に 保存されていること自体知りませんでした。駅の近くだそうで、それなら すぐに見に行けたのにも拘わらず、列車待ちの時間を駅舎内でボケーッと 過ごしていました。お役に立てず残念です。なお、余談ですが新発田駅構内に 5日からコンビニが開店しています。営業は5:00〜24:00です。 さて、肝心の512号機ですが、187号と同様に鉄道省大宮工場製のカマで 製造は1940(昭和15)年、製番は25番です。大宮では翌年の517号機、 製番30を最後にD51の製造は終了しています。 これらのデータは全て1996年5月号の鉄道ファン「特集:機関車D51」に 掲載されたものです。現在では絶版になっています。 笹川流れさんは何号機がお好きでしょうか。個人的ベストは499号機の亀山時代、 全体としては重油タンク+増炭囲い+旋回窓+集煙装置の重武装した戦時形がいいです。 現物を見たことはありませんが、そのいかつい姿は写真や映像だけでも十分に 伝わってきます。ナメクジはちょっと性に合いません。 でもやっぱり蒸気機関車はC62かD52です。
●「たぬき」さんへ > D51−187号機ですが、製造されたのは1938 >(昭和13)年、大宮工場製です。 >それも、同工場で作ったD51の第一号機です。 >製造番号は1番であり、そのために保存されて >いる模様です。 「たぬき」さん,初めまして。富山県の「笹川 流れのデゴイチ」です。 D51−187号機が大宮工場で製造されたのは, 1938(昭和13)年なのは分かっていましたが,同 工場で最初に製造されたD51形(量産標準型)で あったからこそ保存されているというのは,初め て知りました。どうも,ありがとうございます。 というわけですが,D51−512号機の大宮工場 での製造番号は,どのようになっているのでしょ うか。何か,資料になるような本をお持ちでした ならば,その本に書いてある512号機の大宮工場 での製造番号を教えて下さいませんでしょうか。 そして,新潟県に行く機会がありましたならば, 新発田市の東公園(JR新発田駅の近く)に保存 されている512号機を見に行った上で,現在の保 存状況をも合わせて報告して下さると,うれしく 思いますので,ぜひ,よろしくお願いします。
>笹川流れのD51さんへ はじめまして、たぬきです。 D51 187号機ですが、製造されたのは1938(昭和13)年、大宮工場製です。 それも、同工場で作ったD51の第一号機です。製造番号は1番であり、そのため 保存されている模様です。
どうも、たぬきです。 各号機の紹介で、48号機が特急ゆうづるの専属牽引機的に使われていたと 書かれておりますが、23号機のほうが牽引の機会が多かったのでは ないでしょうか。手元にある鉄道ファン1994.8号には「23号機: ・・・昭和40年10月のゆうづる登場で、平区でもっとも乗務員から 好まれた。・・・ボイラの調子がよく・・・」、「48号機:・・・ 平区時代は23号機に次いでゆうづる牽引の機会多し、・・・」とされて います。私はナマでその光景を見たわけではないので、本などからだけですが、 少なくともゆうづるに関しては圧倒的に23号機の姿が目に付きます。 26号機ですが、はっきりいって大したことの無いカマらしいです。早々と廃車になった のも調子が悪く、好まれていなかったからのようです。でもまあ、それで保存され ているのですから、幸せもんですね。 個人的には特有の集煙装置を取り付けていた東海道時代の42号機や、シールド ビームを試験期間後もずっと取り付けていた9号機が印象的です。あのドでかい ボイラーにちょこんとLP402が乗っかる姿は、かなり珍奇で笑えます。あれだけ 有名なカマながら、案外保存されていないというのは、どうしてなのでしょうか。 私は滋賀県の大津市在住なので、気が向けば梅小路へ行けます。(でも最近は 行ってない)西日本は唯一、動態保存機の2号機を持っているので、運がよければ 構内運転を行う姿をキャッチできます。いつか、東海道・山陽線の方向別複々線区間を かつての特急つばめ牽引のように走らせてみたいものですね。
みなさん こんばんは お久しぶりです。 気づけば書き込みが次のページまで・・・(^^ゞ ここ最近ですが先月の体調を崩したのも治りました。 ご心配の書き込みもありがとうございました。 さてさて、レスが大変ですな(^^ゞ Ducknさん こんばんは 北海道もいろいろ蒸気機関車を復活させてがんばっていますが、 たしかに他の蒸気機関車を復活させる予算があるなら、C623を復活させてくれ〜 と言う気持ち、非常にわかります(笑) まぁ、最後の出番に期待しましょう。 秀里さん こんばんは 執筆活動お疲れさまです。今後の展開はどうなるんですかねぇ。 「3号機をここから引っぱり出せるのはお前しかいないってな。」 ホントに引っぱり出して頂きたいものです(^^) hiro. さん こんばんは SLニセコ号の運転開始はかなり遅れそうですね。 有珠山の活動もなんか小さくなってきているように感じる今日この頃ですが まだまだなんでしょう。 笹川流れのデゴイチ さん こんばんは HN変えたんですね(^^) 笹川流れのデゴイチ さんはかなりのD51ファンと見ましたが、D51が好きになった きっかけみたいなモノはなんですか? まぁ、私の場合は999号のモデル機関車という理由でC62が好きなんですけどね。 D51は数はたくさんあると思うんですが、ほとんど知識がないんですよ。(^^ゞ Tsubasa-A さん こんばんは 山口線は毎年通っているんですか?乗る方ですか?走行写真を撮る方ですか? こういう場合、いつも思うんですが乗るチャンスが少ないときは、私の場合 乗る方を選ぶんですね。 毎年、何か目標みたいなモノを決めて行くんでしょうね。 jsasaki さん こんばんは 東山公園のC6217の撮影に行ってきたんですね。私の時は小雨の時でしたので 橋の影と言うことは考えもしませんでした。なるほどね・・・ 徒歩だと道路の上りがきつかったでしょう? そうそう、嵐さんの梅小路迎撃オフ会の同報メールを後日流しますね。 嵐三太勇 さん こんばんは 藤子F不二雄さんって、たぶん、汽車は好きじゃないかと思ってました。 「のび太の銀河特急」とかなんとかの映画上映されませんでした? そうそう、たしか北海道だったかどこだったか忘れましたが、ドラえもんの イラストが描いてある列車が走っていたんじゃないかなぁ・・・ 梅小路にはおつき合いできそうです。いろいろお世話になりましたので 名古屋土産でも持参します。忘れたらごめんね(^^ゞ s26 さん こんばんは たしか、北海道でしたよね?ドラえもん列車は? 違ったかな?(^^ゞ 蒸気機関車を扱っている漫画は、999以外にもいろいろあるんですね。 たまに、999をパロディー化した漫画はよく見ますが・・・ これで全員にレスをしたかな・・・ 今度からは溜めないようにしよう(笑)
マンガといえば以前、C623復活を題材とした「コロポックル」と言うマンガがありました。 この前、オバQが除雪車の紹介をしているマンガも読みました。 確かに車両は綺麗に書かれていました。
博多で開催中の藤子F不二雄展に行って来ました。 皆さん。実は藤子F先生、SL好きってご存知でした? 短編作品の中にはC12や、電気機関車の模型が表紙で出たり、 999のパロディ(と言ってもお得意の皮肉が入ってる)も書いたり、 映画で「のび太の銀河超特急」を走らせて、 松本先生と対抗していたり?しているのです。 で、その映画の汽車の設定下書きなどを見ると 蒸機の描き方がこと細かくメモしてあるんですね。でその隣は!! 噂に聞いた、よだれが出るくらい精巧な造りの、汽車のジオラマ!! ハチロクが、デゴイチが、C11が、そして、 C571が走っている!!(カトーモデルだったとか) 先生は考古学好きなのは有名でしたが、 蒸機を器用に作っていたとは驚いたなぁ!! しかも集煙装置のない「貴婦人」が完璧に…。感動しました!!
桜も次第に花開き、もうすぐで満開になりますね。 私は、昨日、休みを取って、JR東海研修センタに行ってきました。 館長もご存知のC57139などが静態保存されていて、それに会って、 写真を撮るのが目的でした。 平成4年に再塗装を行なったようですが、風雨にさらされ、 状態はあまり良いとは言えなかったです。すこし悲しい。 で、写真を撮ってきたのですが、新しく手に入れたカメラと いままで使ってきたカメラですが、ともに、強い反射光の ためか、プリントアウトして帰ってきたものを見ると、 ハレーションを起こしたような状態でした。とても悲しい。 もっと修練が必要だなぁと痛感しました。 その後、花見がてら、東山公園のC6217にも会ってきました。 今回は、以前館長が撮影されたような橋の上からの撮影も やってみました。陽射しが強かったので、カマに橋の影が 落ちて、あまり良い写真にはなりませんでした。難しい! 今回は橋まで徒歩で行き、徒歩で駅まで帰りましたが、 体がなまっているせいか、やっぱり疲れました。 そんなこんなで、一日外をふらついていたので、 すっかり日に焼けてしまいました。 鼻の頭なんかが、真っ赤で、とても変です。 こんな日は帽子が要りますね。(笑) Technology of Steam Locomotive http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6216/
さて、春らんまんな季節になり始めました。 去年は、3月の初日に山口線へ行きましたが、その時に雪でえらいめに逢い、 今年は暖かくなってから行こうという事にしていました。 さて、山口線通いも今年で・・・? 何年目になるのかなぁ・・・((暴)) 今年も行ってきます。
そう言えば、例の「レイルマガジン」5月号の特集の巻頭の 座談会「C57−180を支える男たち」にも書いてあったけど、 C57−1号機、C57−180号機、そして、D51−512号機ととも に、昭和40年代の新津機関区には、現在、JR東日本の看板機 の一つであるD51−498号機も在籍していたわけですが、例の座 談会で、大野愛二さん(元新津機関区の機関士)は、「当時の 498号機は、整備士泣かせの、あまり調子の良いカマではありま せんでしたね」と言っておられました。 ということは、復元作業においては、今回のC57−180号機と 同じように、やはり、静態保存されている他の蒸気機関車の部 品が使用されているんでしょうか。まあ、復元時の完成度の高 さから見ると、北海道に保存されている何両かの同形機の部品 を数多く流用しているようにも思われますが・・・・・。
そう言えば、特集の中でテンダー車のライトのレンズを交換しなければならない と言うことがあって、「もし新しく作るとしたら30万円かかります。(当時)」 と言ってましたね。 今新製すると幾らかかるのでしょう? その時は全国から取り寄せた部品の中から、選んで使うことが出来たのですが。
いろいろな方から頼んでいたのですが、 昭和60年に放映されたNHK特集「よみがえれ貴婦人」のビデオを拝むことが出来ました。 サブタイトルが「最後のSL解体修理」 となっており、 当時はまだ他の車種が復活するというのは考えてなかったかもしれませんが。 然し詳しく構成されていまして、SLにわか好きの人にも分かる内容でした。 C571が羽越戦での事故に遭遇したときの貴重な写真なども出てまして、 当時良く此処まで復元できたものだ、と感心してしまったものです。 放送当時は1号機も相当くたばっていて、 ボイラーの水漏れが相当酷く耐久性に問題が出たこと、 連結棒のブッシュが欠けていたが交換品が無く、 古い資料から引っぱり出して22年ぶりに作ったこと、 当時動輪軸の交換技術が鷹取になくて、苗穂まで輸送して交換までしたこと、 等々多くの努力で「貴婦人」を再生できた、と言う物でした。 あの時はデッキがなかったので、今まで薄い記憶だけで頼っていたのですが、 十数年ぶりに見ては、「ああ、たしかこうだったなぁ」と言いつつ 記憶が数々と甦って、良い時間を過ごしてしまいました。 http://ww5.tiki.ne.jp/~bishanohana
やはり現役ではないものの検修というものは大変ということでしょうか。 C623の時も、C57144のインジェクター等調べていました。 また、煙室扉のゆがみ、穴開きによって空気を吸ってしまい、中のシンダに火がついてしまう 状態になることもあったそうです。C1266が北海道に来た時もこれになったので パッチをあてていました。 消耗品とも言える水面計のガラスも、アルカリに耐えられるものは無いそうですから。 また、ライトの球、ガラス、石綿もないですし個人に借りていたパーツもありました。 工具は旧滝川機関区にたまたまあったそうですが。
で、「レイルマガジン」5月号の特集の座談会には、 現役時代のC57−180号機などの調子の具合のことにつ いても、いろいろなことが語られていました。それによ ると、現役時代の180号機は、特に調子が悪いわけでも なく、逆に褒められるほどの良い調子でもない、普通の カマであったということです。これは、C57−1号機も 同じで、1号機が特別扱いされていたのは単に(C57形 の)トップナンバーのカマであったからだけということ でした。旧新津機関区所属の元機関士の大野愛二さんに よれば、新津機関区所属の蒸気機関車のうち、自分自身 が運転したカマの中で、特に調子が良かったカマは、C 57−14号機と、ここでも何度も書いているように、新発 田市に静態保存されているD51−512号機が、深く印象 に残っているということで、新津機関区所属のD51形の 中でも、最良のカマであった512号機が新発田市に静態 保存されたのも、ある意味では順当だったのかもしれま せんね。この512号機は、1940年11月に新製配備された 時から、現役時代を一貫して新津機関区所属で活躍して きたわけですからね。 まあ、本当は、新発田市ではなくて、C57−180号機 と同じように新津市内に保存した方が良かったのかもし れませんが(同じ新津市内であっても、別に保存場所は 違っていても構いませんので)。
突然ですが、今回から、HNを、「羽越のD51命」から 「笹川流れのデゴイチ」に改称しました。というわけで、 改めて、よろしくお願いいたします。 で、↓の投稿の続きですが、「レイルマガジン」5月号 の特集は、「蒸気機関車の20世紀」というものでしたが、 その巻頭に、「C57−180を支える男たち」という座談会 が掲載されていました。これは、「SLばんえつ物語号」 を牽引するC57−180号機の所属する新津運輸区(旧新津 機関区)の乗務員の方々と、現役時代にC57−180号機の 運転などに関わった旧新津機関区のOBの方々(元機関士 の大野愛二さんなど)との座談会ですが、この中で、C57 −180号機の復元作業の際の苦労話として、各種部品の確 保と修復についてのことが書いてありました。それにより ますと、C57−180号機が装備していた(オリジナルの) コンプレッサーは、調子が良くなかったらしく、JR(東 日本)大宮工場に静態保存されているD51−187号機の物 と交換して修理した上で取り付けられましたが、復元工事 完了後の大宮工場構内の試運転線での試験走行の際にコン プレッサーの調子を調べたところ、あまり調子が良くなか ったので、新津運輸区への回送までのスケジュールが迫っ ていたこともあって、急遽、新発田市に静態保存されてい るD51−512号機のコンプレッサーと交換した上で修復し てC57−180号機に取り付けて、改めて構内での試験走行 を行った結果、OKとなったということです。 ちなみに、D51−187号機もD51−512号機も、ともに 大宮工場製のデゴイチですが、512号機が製造されたのが 1940年であるのに対して、187号機が製造されたのは、い つだったのでしょうか。梅小路蒸気機関車館に動態保存さ れている200号機が製造されたのが1938年だということな ので、187号機も、200号機とほぼ同じ頃に製造されたので はないかと思われますが・・・・・。