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保存機関車C62の様子

2001年9月15日現在のJR北海道苗穂工場に保管中のC623です。このC623を最後に全国に保存している5両を生で見てきたことになります。(^^)
 

我が国最大の蒸気機関車であるC62型機関車は、幹線重量貨物用D52型のボイラと幹線高速旅客用C59型の走行装置を組合せ、戦後旅客輸送の希望の星として昭和23年に誕生した。
ここ苗穂工場に展示されている3号機は、昭和23年6月18日、日立製作所笠戸工場で生まれ、同年6月26日、糸崎機関区、その後、昭和25年8月17日、梅小路機関区に配属され、特急「かもめ」を引いて東海道本線を爽快と走った。昭和31年9月26日、小樽築港機関区に転配属された。特に山岳路線である小樽〜長万部間は重連運転となりスピードと力を駆使した活躍が始まった。昭和32年10月のダイヤ改正からは僚機と共に「大雪」・「まりも」・「アカシヤ」の先頭に立つ光景がファンを大いに沸かせた。昭和36年10月のダイヤ改正で特急気動車に花道を譲り、その後、昭和46年9月15日の「ニセコ(上り1号/下り3号)」の牽引を最後に栄光のハドソン(運行)を終えた。全走行キロ数約250万km、実に地球を60周余する距離を走り続け、昭和51年3月19日にその疲れた体を休めた。
それから、12年の歳月が流れ、昭和63年3月3日、関係者の努力が結実して車籍が復帰した。同年の3月13日には、世紀の大事業である青函トンネルが開通している。その年の4月29日午前9時52分小樽駅からブルーの客車5両に368名の乗客を乗せ、一路、倶知安駅へ向け走り出した。
平成7年11月3日まで延べ370日間、13万人の夢を運んだ輝ける軌跡の蒸気機関車を鉄道文化の象徴として保存することとなった。

北海道へなかなか来れませんでしたが、このC623号機で現存しているC62を全部見たことになりました(^^)

プレートがピカピカでした。

斜めアングルから撮影してみました。

横から見たアングルです。

運転台の様子です。

真横から撮影してみました。錆が浮いているのがよくわかります。

 

つい最近までは、石炭が積んであったんですよね。

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